人口が、
減り続ける中で。
分校を含めると3つも小学校がある賑やかな集落でした。でも、林業の衰退とともに、若い世帯は仕事を求めて畑山を離れていきました。「安芸の町へ出るぞ。土地も買うた」と靖一が20歳の時に、父が切り出しました。「畑山から出ん。死ぬほど惚れた相手が「畑山を嫌や」って言うなら出て行く。そうじゃなけりゃ、畑山を出ん」と、靖一はもがりました。
人が減っても、
畑山を離れたくなかった。
一日中、川で遊んだ子どもの頃。山でたつくり、サルのように木の枝をしならせて、山の上から降りてきたこともありました。自然の中に、楽しい日々が畑山にありました。生まれ育った故郷で暮らし続けたい、と想いました。






