高知県の地鶏「土佐ジロー」専門店

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地域を守るってなんだ?

地域を守るってなんだ?

 

限界集落に嫁いだ元新聞記者が

限界集落になりゆく

むらで育った夫に聴く14

 


 

私が嫁に来た時、

亡義父の姉は

「就職するでも、

嫁に行くでも、

家よりも一歩でも

町へ近づくようにと

学校の先生に教わった。

なんであんたは畑山へ嫁に来た?」

と問われた。

バブルの時代にも町へおりようともせず、

畑山で鶏を飼い、

弟まで巻き込んだ甥のことでさえ、

半ば理解できないのに、

県外から年の離れた嫁が来た。

伯母には

理解できなかったことだろう…

 

時代は巡り、

農山漁村への移住者も増え、

新しいむらの姿が

構築されつつある今、

私だけが特別な存在ではなくなっていると思う。

全国に目を向ければ、

似たような話もちらほらとあるでしょう。

でも、靖一さんが歩んだ半世紀は

違ったものだったはずです。

時代の流れにあえて逆行する生き方を

畑山で貫いた靖一さんは、

どんな思いで生きてきたのだろう。

 

圭子:

おばちゃんが私に

「一歩でも、町に近づけ」

って話したことがあるけんど

靖ちゃんには、せざったが?

 

靖一:

聞いたことなかったけんど、

そうやろうな、とは思うちょったね。

俺が20歳の頃は、

親父の姉2人と、弟1人、妹1人の

4人ともに街へ出とったがね。

姉らと3人で街に土地を買うて、

家を建てるっていう話が出てきとったがね。

親父が先々に街に出るっていう話ではなく、

姉らが土地を買うたところに

話が出たんじゃなかろうか、と。

土地は買えても

親父は、家を建てるお金はなかったと思うけんど…。

何かのついで話で、

「靖一、街へ出ろうか」

って親父が言うてきたが。

悩むとかではなく、即答で「嫌じゃ」と。

畑山におる根拠もないし、

大工をしよった時でもあるけんど。

町へ出るのは嫌やったがね。

それで、

「命がけで好きになった子ができて、

その子が死んでも畑山嫌やって

言うたら考える」

って言うたんよね。

断る理由よね。

たぶん、そんな恋愛をする気がなかったきやろうね(笑)

 

圭子:

お義父さんらが

地域活動に熱心でもなかったのに

なんで、畑山へ住み続けたいと思うたが?

青年団やりよったんも大きいがかな。

小さい頃から、馴染みがあったが?

 

靖一:

そうやね。

俺らが小中学校の頃、

クリスマスいう風習が家にはなかった頃。

クリスマスが近づくと、

青年団員が畑山の家々を

1軒ずつまわって、

クリスマスケーキの注文を取るがね。

それで、クリスマスの夜に配達するんよ。

青年団員の資金稼ぎにね。

 

圭子:

うちらもあったよ。

クリスマスやなかったけど、

お祭りの時に屋台出すけん、

食べに来てって

チケット売りに家に来よった。

宇和島の大きな祭りの時もそうやったけど、

集落内の小さな祭りの時は

金魚すくいとか

子どもが遊べるのをやってくれよった思い出がある。

 

靖一:

そうそう。そんな感じ。

地域の中での

若いもんの役割っちゅうもんがあったが。

それを見て育っちゅうき、

自分も働き出したら入るもんやと思うちょったがね。

やけん、俺も18歳で青年団に入って、

20歳の頃には一度目の青年団長をやったがね。

県道の掃除とか、

お宮の神輿かつぎとかもしたし、

運動会や敬老会の世話役もやったで。

敬老会では、劇をしよったきね。

カンイチ・オミヤとか、

プロレスごっこもやったね。

年寄りの家へ車で迎えに行って、

会場の小中学校までつんできて、

劇を見たり、ご飯や酒を飲んでもろうて

楽しんでもらってっていうことをやったが。 

このころは、まだ年下の子らもおったけんど、

就職したばっかりの頃は、

畑山から通いよった人らも、

朝早くからの仕事に変わったりして、

残っとった人らも

出て行き始めたがね。

それでも、週末にイベントがある時なんかは、

県外からでも帰って来て助けてもろうたりもしたがで。

20代のころは、

とにかく

「守らないかん」

という考え方やったが。

敬老会や伝統的な文化活動を

継承する手助けをする。

そこで時間を取られてしまう。

一生懸命やってみたけど、

10年が経ち、

20年が経って、

知り合いや後輩らが地域からおらんなってしもうた。

それで、ようやくというか。

守る発想から、

創るという考え方に

シフトせないかんと

生き残れんって思うようになっていったが。

 

圭子:

畑山に実際に住み始める前は

その意味がよぉわからんかったが。

まだ、うちの実家らぁは

人もおったしね。

でも、実際に住んでみて

30年経つと、

うちの実家らぁも同じようになるがやろうなぁって。

早い段階でも、気持ち・考え方の

切り替えが必要やなぁって思うようになったね。

 

靖一:

地域に仕事があって、

今まで通りの地域づくりをしていくのならいいけど、

畑山の場合は時すでに遅し。

地域は、各世代に人がおって、

成り立つもんやと思うけど。

畑山の場合は、

俺より若い人がいなくなり、

一定の年齢を超えた人ばかりが残っていった。

それと、人の性質も大きな問題。

100人の地域があったとする。

3割が世話役とかサポートをする人。

例えば、集落の行事をするときの

主催者側として企画・手伝う人が3割とする。

4割が参加する人。

3割は参加できなくて送迎が必要な人とか、

無関心な人。

その割合なら地域づくりということを

掲げてもなんとかなるかもしれない。

でも、畑山の場合はその均衡も随分と崩れていったがね。

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