山で生きる。人と動物がともに暮らす山里―限界集落に嫁いだ元新聞記者が、限界集落になりゆくむらで育った夫に聴く⑧―
山が荒れた
と人は言う。
山に馴染みのない私には
どう変わったのかは分からない。
山の中へ入ると
木々が立ち込め
薄暗くて、
草の生えない地面がむきだしている。
そうした状況を
荒れた
というのだろうか。
靖一さんはどう見るのだろう。
圭子:
畑山は
山がちだよね。
靖ちゃんにとっては
フィールドの一つ。
変化してると感じてる?
靖一:
山が荒れたという言い方がいいのか。
樹種がかわって、
堆積腐葉土が減ったよね。
それが原因の一つで、
川の水位が減ったり、
魚種が減ったんやないろうか。
とにかく腐葉土層が減ったがね。
今の針葉樹では腐葉土として
堆積することはないので。
広葉樹山と針葉樹山の違いっていうのはあるがやきよ。
圭子:
昔はどんな山やったが?
靖一:
昔は、山の木、
あけびとか山芋とか、
そうした山の恵みを求めて
山へ入れよったんよ。
今は本当に山の恵みがないなったわいね。
そういうのを食べる文化も
なくなってきたこともあるけど。
圭子:
私が入っても
山の食べものはよぉ見つけん…
靖一:
山へ分け入ったらいろんなもんがあったが。
ブンヤというか、木の枝を求めて
山へ入るとか。
木の実とかもね。
季節によっては
コボテとかで鳥をとるために山へ入る。
そういう魅力とか
用事があったと思うけんど。
今の杉山へ入っても、
何にもないわね。
法規制がかかって、
鳥を捕る罠ができんなったり。
山の魅力が失われてきとるようには思うね。
圭子:
畑山ってシカも多いよね。
でも、昔はシカもおらざったがやろ?
靖一:
夜中に、車で走ることも
昔はなかったき。
今のようには遭遇する機会が
なかったのかもしれんけど。
圭子:
お義父さん(故)が奥山で見たくらいって
言いよったもんね。
靖一:
シカとかイノシシ、サルのたぐいは、
山の猟をする人とか、
山の仕事をする人らとか、
山の上の方まで
あがる人らやないと
見たことはなかったと思う。
圭子:
数年前には蕎麦植えよったら
シカが出てきとったりしたもんね。
(写真はその時のシカ)
畑山でカモシカも見たことあるよ。
一回だけやけど。
靖一:
今は年に何回も見るようになったね。
畑山で今、見かける動物は、
タヌキ、イタチ、ハクビシン、
イノシシ、キツネ、シカ、
ウサギ、リス、カモシカ。
住み分けができんなってきた。
山が針葉樹になり過ぎたばっかりに、
広域で動物が暮らさないかんなったがやろうかね。
シカに関しては、増えすぎたがやろうけんど。
圭子:
昔から狩猟もあったが?
靖一:
そうやねぇ。
畑山らは
猟をする人が減ったということもあるやろうね。
おやじも近所のおんちゃんらも、
猟しよったきね。
人口が減ったし、
そういう狩猟者の存在がかなり減ったがやろうね。
圭子:
お義父さんがタヌキの毛皮を
持っとったって言いよったでね。
靖一:
おやじとか山の仕事をする人は、
タヌキの毛皮を腰につけとった。
木の切り株に座るときの座布団としてね。
タヌキの皮を腰につけちょいたね。
けっこうでかいで。
30cm×40cmくらいはあったろうね。
圭子:
畑山に来て
イノシシはいまいち好きにはなってないけど
シカは好きになったよ。
昔から食べよったが?
靖一:
今でこそシカ肉を
食べるようになったけど、
子どものころは
食べた記憶がないね。
圭子:
畑山におらざったがやき
そうなんやろうね。
他に食べた動物はある?
靖一:
タヌキ、ウサギ、
ハクビシン、イノシシは食べたね。
タヌキは独特のにおいがある。
獣を食べるっていうのは、
素人には難しいかもしれんね。
圭子:
お母ぁが、りょうる(=料理をする)が?
靖一:
皮をはいだりの
あら料理は
おやじがやったと思う。
鍋に細切れにして
味付けするのは
お母ぁがやったと思うけんど。
圭子:
タヌキはわざわざ捕るもんなが?
靖一:
山の仕事をしよって、
たまたま捕ってきたりしたのを
食べよったんやないかな。
はっきりは覚えてはないけんど。
出稼ぎに行きゆう頃は、
長野あたりは1-2月は
仕事がないき家に帰ってきとった。
冬の遊び仕事としてやったと思う。
勤め人のように定休日はなかったろうけんど、
休みはあって、山遊びはしよったんやろうね。