地域から学校がなくなるとき。
地域から学校がなくなるとき。
限界集落に嫁いだ元新聞記者が
限界集落になりゆく
むらで育った夫に聴く13
昔、畑山には
小学校の分校が2つもあった。
800人も人が暮らした時代のこと。
50年が経ち
人口は50人を割り込むまでになった。
嫁に来る前
還暦前の女性は
誰ひとりいなかった。
20代だった私。
長男・尚太郎が生まれると
畑山で子どもが生まれたのは
集落で22年振りとなった。
学校はもちろん既になかった。
圭子:
学校がなくなる経過って
どんななが?
平成4年に休校になったがでね?
靖一:
休校になるちょっと前に、
先生が中学生を
鶏小屋に連れてきたことがあったがね。
新たな産業興しの可能性みたいなものを熱弁したなぁ。
肉用をやり始めた頃やったがやね。
肉用の手応えにはなってなかったけど。
新しい産業興しのような話を、
子どもらへの期待感を込めて
熱弁した気がする。
地域産業っていう観点というか、
地域で産業興しをやらないかんっていう話をね。
話の内容については、
今ならきちんとした手応えがあってしゃべれるけど、
当時は単なる開拓者みたいな感じ。
子どもらにとっては、
怪しいおんちゃんにしか
うつらんかったんかもね。
圭子:
学校を
残さないかんとは思わんかったが?
靖一:
休校になった時には、
残したらいいって言う風には思わんかったね。
残さないかん理由がないもん。
圭子:
廃校の時もそんな思いやったが?
休校から4年の
平成8年で廃校よね。
靖一:
鶏を飼い始めて
卵用から肉用に
シフトせないかんいうことで
2回目の鶏舎の建て替えを
模索しよったころやね。
圭子:
結婚して子どもをっていう気はなかったが?
靖一:
結婚する余裕はなかったね。
気持ちに。
子どもができる予定もなかった。
でも、地元に話がないまま、
「畑山小中学校の廃校」
という記事が新聞に出たがよ。
市役所に
「説明も無いまま廃校はないろ」
って電話したら、
地元説明会が開かれたがよ。
その時に議論をして、
「どうするぜよ」って。
「残すべきじゃないか」って
俺も言うたが。
でも、近所のおんちゃんが
「靖一が頑張りゆうき、残してやれ」
って言うてくれた。
でも、俺がおるき、残すっていうことではない、と。
結婚のあてもないし、
ただ、10年後、20年後のことを考えて
残した方がいいんじゃないの、
って話はしたけど。
いわゆる時代の波というか、
押し流されたくない自分がおったけんど。
流されるというか、
廃校とか人口減少の流れは、
あらがえんかった、
止められんかったんやね。
圭子:
廃校になってから
意識って変わった?
靖一:
大きな流れの中で、
自分が泳がないかんというか、
自分がここを遺さないかんってやりゆうけんど、
人口は減りゆうし、廃校にもなった。
廃校になってもなお、
生き残る術というのを創り上げないかんとは思うたね。
圭子:
学校がないところでの
地域づくりって
イメージがわきにくいがね。
学校って最後の砦みたいに
言われもするやんね。
やけん、畑山には学校もないのに
ここで、まだ次のことを夢見るっていうのは
10年前の私にはなかった発想やったね。
靖一:
そうやね。
当初思い描いた地域づくりよりも
だんだんとハードルが高くなっていったね。
もたもたしゆう間に、
人が減り、
学校もなくなってしまった。
それまでに年寄りの世話をせないかん、
地域のため、
っていうこともやらないかん。
民生委員だって、
何年言われて、
何年断ってっていうのを、
最後の最後に引き受けて。
それから20年もしゆうけんど。
いわゆる地域の現状維持と、
改革としての仕組みづくりをせないかんがね。
結局、改革っていうのは、
今までの考えや取組を
否定することになってしまう。
このおんちゃんと、
このおんちゃんが理解してくれたらやれる、
と思うたことが
現実にはいかんかったりね。
圭子:
子どもが二人生まれて
今、思う学校って?
靖一:
去年、住民の過半数が移住者になっとる
和歌山の色川っていう地域を見てきたわね。
圭子ちゃんがやりゆう情報発信の中で、
10年後の畑山を明るくイメージした時には、
可能であれば、休校でおいといて、
いつか復活っていう事の方が、
なにより良かったんだろうなとは思うけど。
圭子:
宇和島での地域づくりを考えてたときは
学校は生徒が一人であっても
残さないかんって思いよったがね。
でも、畑山で暮らし始めて
実際に子どもも生まれてみると
ある程度の人数での中で
成長してほしいなぁって思うようになったがね。
靖一:
一人二人の子供が通う
小学校もあるわね。
学校施設を残すためのことというよりも、
子どもが犠牲になってるんじゃないかと考えてしまうがね。
本当に、答えは出しにくい。
市街地での効率的に、
画一的な場所で
子どもを育てたいとは思わんけんど。
一人しかおらんかったら、
先生が話し相手であっても、
同学年、同世代での視点・観点ではないき。
難しいね。
地域に学校があった方がいいんだろうけど、
うちの子どものためだけであるなら、
それは違うんだろう、と思うね。
圭子:
畑山でのことを話すときに
山間留学の可能性も話すことがあるよね。
靖一:
山間留学とか、
いいなぁとは思う。
そういう取り組みこそが、
地域への愛着であったり、
将来への人材に繋がる気がするき。
皆がみんな、帰って来るもんではないけど、
可能性でいえば、
それも地域の人材とのマッチングにもなる。
あるべきやろうね。
圭子:
福祉施設としての利活用も考えるよね。
昔、短期間やけど
福祉施設の利用もあったがやろ?
靖一:
福祉施設としての
可能性もあるだろうね。
廃校になった後に、
福祉施設の改修工事の半年くらいの間だけ、
畑山の学校で生活して、
パンを焼いたりしよったが。
畑山に「はたやま夢楽」しか無いんじゃなく、
複合的な交流っていうのはありだと思うがね。
土佐ジローの養鶏自体は、
専門的な分野ではあるけれど、
単純作業も少なからずあるし、
福祉施設との連携も可能性はあると思う。
圭子:
小水力発電も
期待を持ってみてるよね。
嫁に来た時から
小水力発電の可能性って
靖ちゃんと夢描いてきたけど
数年の間に、
実際に小水力発電を動かしてる人たちから
声がかかるようになって。
本当に嬉しいと思ったよね。
*畑山には水力発電所の跡地があり
小水力発電での利用を
地域小水力発電株式会社が検討してくれています。
靖一:
そうやね。
複合的な地域の魅力づくりっていうのをやっていきたいよね。