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畑山の通信事情。―限界集落に嫁いだ元新聞記者が、限界集落になりゆくむらで育った夫に聴く12―

畑山の通信事情は

それだけとっても

記事が1本くらい書ける。

 

秘境っぷりがよくわかる。

 

嫁に来る前は

かろうじて

docomoのmova回線と

auが場所を選べば入っていたけれど

その後、fomaに替わり

通信事情が変化する中で

とうとう電波が何も入らなくなってしまった。

 

固定電話の音声も不安定で

ものすごく遠い。

 

僻地だから仕方がないと諦めていたら

知り合いから

「NTTは、こうした場所などでの

設備投資に充てるのに

ユニバーサル料を

毎月、電話代と一緒に請求してるんだから

そんな風に思わないで良いんだよ」

って教えてくれた。

 

インターネットは

4年くらい前に

衛星Ipstarを設置したことで

通信速度はともかく

繋がるようになった。

 

Blogを書くために

下山してたのが嘘のよう…

ネット通販が受けられるようになったのも

Ipstarのおかげ。

 

そして、諦めかけていた

携帯電話の電波が

Softbankのおかげでとうとうやってきた!

 

想定よりも狭い範囲ではあるけれど

4Gが畑山でつながる日が来るなんて。

おかげで効率アップしたことがたくさんある。

 

 

畑山に来たからこそ

知れる世界もあるもんだ。

 

畑山の電話事情を振り返る。

 


 

圭子:

電話がついたのも遅かったがでね。

「畑山地区 公社電話開設を祝う

―電話開設を祝う実行委員会」

って本があるよね。

その本によると

昭和55年11月12日午後2時に開通。

戦前に発電所に1つ、

事務用として電話があって、

終戦後郵便局に1つ。

緊急時には、放送もあったがやね。

昭和55年って私が生まれる直前やんかね…

 

靖一:

俺が物心ついた時には、

各集落に赤電話が1個ずつあったね。

集落に1個ずつ拡声器があって、

電話がかかってきたら、

呼び出しがあったがね。

その拡声器から

最初は、ラジオの受信みたいな音が

流れ始めて、

みんな何かなぁと

窓を開けて外に出るがね。

「だれそれさん、電話です」って。

 

圭子:

私はなんとか想像できるけど

今のスマホ世代は、なんのことか

映像でもないとわからんやろうね…

 

靖一:

俺らが昭和49年3月に卒業やろ。

大人になってからも

暫くは家に電話がなかったが。

中学校くらいになって、

従兄弟とか街中に出た人らと

付き合いができるようになると、

恥ずかしさもあり、

不便さも感じるようになって。

「一戸建ての家に住所があるのに、

呼び出しって何?」って。

就職とかで名前を書いたら

「●●番(呼び出し)」って書くがよ。

世の中を知っていきゃ、

畑山だけ整備されてない部分があることを知るがね。

「ちょっと恥ずかしい」になるがやろうね。

 

圭子:

健ちゃんらが就職した時は

どうやって連絡取りよったが?

 

靖一:

健二らが県外に出た時は、

電話かけてきよったが。

呼び出しがあると、

一度切らせて、

10円玉いっぱい持って、

電話かけに行きよったね。

足りんなった時は、

100円玉を電話の家の人に

10円玉に変えてもろうたりしてね。

 

圭子:

時代だねぇ。

 

靖一:

今と違うて、

電話がかかってきて

放送で呼ばれたら、

親らと3人で

電話口へ行ったりしてね。

おるもんが代わりばんこに

電話口で話したわいね。

 

圭子:

不便に思うことはなかったが?

 

靖一:

今みたいに日常的に

連絡ができるっていう

暮らしではなくって、

隣りの集落の人に

用事があったとしても、

会った時に言えばすむことやったしね。

道中の電話線をひくのに、

1軒が100万円も出さないかん話やったきね。

畑山の婦人会らが中心になって

電話回線を引く運動をしたのが

実を結んだらしい。

それで、22歳の時にようやく家に電話がついた。

 

圭子:

最初はどんな電話しよったが。

 

靖一:

電話がついた頃には、

街向いて仕事行きよったきね。

思春期というか、

青春の頃やけんね。

「親子電話にしてくれ」、って。

自分の部屋だけの電話をつけたりはしたね。

彼女ができたら、とかね。

女の子にかけたこともあったね。

誰にかけたんだろうね(笑)。

基本どこへかけても親が先出るきね。

でも、「電話でプライベートでの話がしたいき」

というので、親子電話にしたきね。

 

圭子:

畑山の山の上に上がったとかで

携帯からかけてきたことはあったよね。

でも、そのあとにmovaも使えんなって

町におりた時しか電話繋がらないっていう…

結婚直前も自宅に電話かけたことあるけど

お母ぁが出て、ちょっとドキドキした(笑)

ほんの7年前のことやけど…(笑)

 

靖一:

畑山って相当周回遅れやね。

例えばね。

営林署は針川にはあったけど、

流域ごとに

国が営林署を造っておったがね。

水力発電所とか、

ほとんどの川にダム行政があるやん。

畑山には公的機関が入ることがなかったき

道路がよくなることもなかったし、

電話も遅かったんやないかな、と。

道路も中学校くらいの時に、

集落ごとに舗装が入ったがね。

学校周辺が最初やったかな。

その後、集落の周辺だけが

舗装されていって。

ちょっとずつ街までの道が舗装されていった。

小学校3年の時に、

中古の自転車を買うてもろうて、

それで学校行きよったが。

キューピー号って自転車。

それからあとで、

親父の友だちにもらった

大人の自転車になったが。

足の届かんような自転車を、

三角ノリで覚えるがやけど、

石垣に足をかけて乗って

そっから踏み出すがよ。

そうやって乗り始めた自転車に、

小学1年になった茂を乗せて

学校へ送り迎えをしよったき。

砂利道は轍がすごくて、自転車でたれコケたこともあるけんど。

 

圭子:

いろんな意味で凄いね(笑)

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