東京オリンピックと畑山。―限界集落に嫁いだ元新聞記者が、限界集落になりゆくむらで育った夫に聴く⑤―
昭和世代でよく聴かれるのが
東京オリンピックと三種の神器。
畑山の場合はどうだったんだろう…
圭子:
今、宿にテレビを置いてないけん
畑山はテレビが映らんと思われちゅうけど
今もテレビは映るよね。
いつごろからテレビがあったが?
靖一:
小学校1、2年の時には
近所にあったんだろうかな。
圭子:
じゃぁ、オリンピックは見たの?
靖一:
東京オリンピックは、
ニュース映像かなんかで見たくらいで
キレイに見てないがと思うがやけんど。
誰かの家にテレビを見に行ったっていう記憶はないなぁ。
家にテレビが来たのは小学校2−3年。
オリンピックより1−2年遅かったんじゃなかったかな。
白黒テレビが家に1台。
夜1時間とかじゃない見たんは。
とにかく親父らは朝が早かったし。
圭子:
お父さんといえば、
よく怒られた話を聞くけど(笑)
靖一:
父親には小学校の3−4年の頃から、
しょっちゅう怒られよったわね。
秋の薄暗くなりはじめた頃に
学校から帰り始めたら、
3km歩いて帰り着く頃には真っ暗やん。
薪風呂やったけんど、
「親が帰ってくるまでには沸かしとけ」
って言われちゅうのに、
帰ってなくて
よぉ怒られたわいね。
圭子:
どんな怒られ方したん。
靖一:
思いっきし体罰やね(笑)。
親父にも怒られたけど、
お母にも怒られた。
火箸でたたかれたね。
直径7−8mmの火箸でね。
あとは薪で。
お風呂もご飯炊くのも薪やったきね。
土間に薪がくべてあった。
その薪で叩かれた時に、
薪が折れたのはショックやったね。
そればぁの力で叩くかって。
圭子:
お母ぁも若かったがやね。
靖一:
日の暮れが早いと遊ぶ間がないというか、
すぐ日が暮れるもんやき。。。
帰って、怒られて、追い出されて。
畑山まで歩いて行って、
おばちゃんとこに
泊まりに行こうと思ったけど、遠いき。
隣りのおばちゃんくの
風呂の焚き口のところに座りよったら、
おばあが迎えに来て
「一緒にあやまっちゃるき、帰ろう」って。
圭子:
「うしろのしょうめんだぁれ」の世界みたい。
靖一:
2回目は南向いて行ったら、
文旦か八朔かの木のもとに
稲わらを置いちゃあったので、
そこにねっころがって、
夜をあかすつもりやった。
そしたら、懐中電灯に顔照らされて。
お母が迎えにきとった。
圭子:
お母ぁも心配やったがやろ。
靖一:
3回目くらいになったら、
もう追い出されるき、
先手をうってやろうと。
殴られたあとやろうかな。
「出ていくき、着替え出してくれ」
って言うたら、張り倒されて、
物置に建て込まれたね(笑)。
圭子:
さすがやね。
怒られどころを掴んでる(笑)
靖一:
暗いっていうのもあって
「出してくれ」
「おしっこしたい。ここでおしっこするぞ」
って叫びよったら、珍しくおじいが開けてくれたね。
圭子:
変な知恵ばっかり働くがやね(笑)
靖一:
小さい子はかわいいき、
暴力ふるわんやろう、と。
三番目の弟が前なら怒らんやろう、
って茂を盾にしたこともあったきね。
でも、茂も同じように殴られたきね(笑)。
パンって音がするように張り手をされたきね。
親父に。
俺は小学校3−4年で、
横着な盛りやき、
俺なら仕方ないけど、
4つも下の弟を張り倒すか、って思うたけどね。
圭子:
テレビの他の三種の神器は?
靖一:
テレビは、ゼネラルってメーカーを
農協が持ってきたね。
数年後に、洗濯機が
ブラザーってメーカーかな、が来て。
それからあとで、トヨタの冷蔵庫が来たね。
トヨタ家庭用品が訪問販売しよったがよ。
畑山出身の人がそんな仕事をしよって、
持ってきたね。
圭子:
「三丁目の夕日」とかの影響かなぁ。
三種の神器が家に来ると騒いでる子どもの映像が浮かぶけど
靖ちゃんらも騒いだの?
靖一:
そのものの魅力がわかってないきね。
特に騒がんかったね。
誰かの家に集まって、テレビを見ることもなかったし。
圭子:
やっぱり協調性ってなさそうだね(笑)