時代の波に乗ることで幸せになるとは思えなかった―限界集落に嫁いだ元新聞記者が、限界集落になりゆく村で育った夫に聴く①―
靖一さんの想う
畑山の未来図には
きっと、
畑山の過去の映像から
想起されたところもあるだろう。
畑山の未来を思い描くとき
そんな映像が少しでも
共有できると良いな、と思う。
私が生きる場所に選んだ畑山が
どういう時間を経てきたのか。
それは、これからを描く上でも欠かせないこと。
靖一さんに少しずつ、話を聴くことにしました。
圭子;
畑山は800人もいたのに、
半世紀で50人にまで減ったよね。
人が急激に減るってどう感じるものなの?
寂しさ、とか不安とか?
靖一;
どんな感じやろうな。
おばぁらが住みよった椎山(しいやま)はなくなったけど、
その集落に対しての俺の生活実感はなかったきね。
(写真は2013年の椎山。廃村になった今も神祭に出掛ける)
圭子;
人が減っていく感覚が無いってこと?
靖一;
畑山の人が減るってことよりも
日本全体で
時代がものすごい勢いで動きよったきね。
若い人が簡単に車を持つようにもなったしね。
新しい時代に向けて動きゆうっていうのは感じた。
圭子;
時代の波に乗ろうとは思わんかったが?
靖一;
動くことで、
必ずしも幸せになるっていう根拠を
よぉ見つけんかったき。
今ここにあるものを手放しちゃいかんのやろうか、と。
圭子;
場所は違えど、私も似たようなこと考えてた(笑)
靖一;
800年の歴史が30,40年で、
いわゆる廃墟に、ないなるってことやろ。
廃村へ向けて、突き進む。
「1億総無責任時代が来た」と思ったね。
まざまざと見たというんかねぇ。
たとえ大きな時代の流れ、
力があったにしても
やるべきことをやって、
どうしようもないなって
地域を離れるようには
見えんかったきね。
そんなに無責任なことでいいの?ってことよね。
やるべきことをやって、
畑山がどもならんぞってことで
皆、地域を捨てていくのか。
そうじゃないように思えたがね。
愛着と誇りを持っていた地域が捨てられれる、
要らんもんのような扱いをされることが嫌やったがね。
住民が見切りをつけたわけやきね。
出て行くってことやきね。
諦めたというか、投げたわけやきね。
おじいちゃんも、親も頑張って
畑山を作り上げたんじゃないか、と。
簡単に手放されるの、って。
圭子;
私が学生時代に書いた記事に
ほとんど一緒のことが書いてあるよ(笑)。
でも、
私は子育てができるほどの産業を
生み出せる自信がなくって。
今は、人生ナントカナルって思えるようになったけど
当時はまだ先の見えない不安を押し切れるほどの強さは持ってなかったもの。
周りに、地域活動をしよる人でもおったん?
靖一;
親父は地域活動をしよったわけやないきね。
じぃちゃんの方がなおさらせんようなタイプの人やったね。
皆で頑張らなきゃみたいな感覚は、
お母ぁのほうにあったのかもしれんけど。
家族に何かしら感化されたっていうのは、
思いっきりないね。
畑山で生まれ育って、
川で遊び、山で遊んだ中で、
故郷がないがしろにされるのが嫌やったっていうことやね。
(続く・・・)