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なぜ、故郷で暮らせないの?〜故郷への思いから見えてくるもの〜

2005年4月「New Energy」No.148寄稿
文・写真 ◇ 藤田圭子(現•小松圭子)

生まれ故郷・愛媛県にある小さな漁村で、
祖父母や父母の営んできた暮らしを大切にしながら心豊かに幸せに過ごしたい―。
藤田圭子さんは、こんな当たり前の想いを実現する方法を探りたくて東京の大学に進学した。
しかし4年生になり、就職活動を続けるなかで、その難しさはいよいよ現実になっている。
なによりも、故郷の人たちに「帰ってこないほうがいいよ」といわれてしまうのだ。
故郷に帰って暮らすことさえできない地方の現実に、「なぜ?」と問いかける。

「豊かさ」「幸せ」という言葉が持つ意味を考えるとき、私の思考回路は故郷の暮らしに行き着く。

私の故郷は、愛媛県宇和島市の南西にある漁村集落。
一歩、家を出れば道路を挟んで海がある。
家の後ろには「耕して天に至る」といわれる階段状の畑、段々畑が山の頂上まで拓かれている。
そんな故郷の1年は四季の変遷を多いに満喫することができる。
そして、毎日、毎年異なる風景を私たちに与えてくれる。
微々たる変化かもしれないが、その変化に気づくことを楽しみたいと思う。
春が来ることを木々の幹の変化で知る嬉しさ。
夏に「海の暴れん坊将軍」と化す喜び。
秋の山に、色の移ろいを感じる幸せ。
冬の寒い日、海面から湯気を出るのを目にした感動。
刻々と変化する潮の踊りを見る楽しみ。
いろんな楽しみが故郷には溢れていた。
自然だけでなく、その土地に住む人々に囲まれて育った時間もまた幸せだった。
些細な井戸端会議であっても、人々の暮らしや地域の歴史を垣間見ることができた。
遊びにいった友だちの家でご飯を食べること、
その逆に友だちがわが家の一員となることも日常茶飯事だった。
そうした地域環境だから、両親が海の仕事で忙しくとも鍵っ子になる必要はなかった。
祖父母も曾祖母もいたし、地域に釣り客以外に見知らぬ人はなく、
「おかえり」と声をかけてくれる人ばかり。
心の通い合った暮らしが故郷にはあった。
私はそんな故郷で暮らし、子育てをし、年をとりたい。
しかし、それはいま、都会で就職活動をするよりも私にとって難しい道だ。
ホンの10年前には真珠やハマチ養殖によるバブルで浜が活気づいていた。
そのころは望まなくとも「帰ってこい」と言ってくれる人ばかりだった。
でも、いまは違う。
残った者でさえ、仕事を求めて故郷を去らなければならない。
海の恩恵で生きてきた私たちは、大きな試練のときを迎えている。
故郷を離れ東京の大学に通う私にとって、
都会で就職する道が最善だと人は言う。
18年間育った故郷に戻らなくても、
「それは当然のこと、後ろを振り向くな」と。
高校の恩師には「宇和島に帰ってくるなんて考えるな。世界をめざせ」と言われ、
母には「数年は東京で働いてから帰ってくればいい。
それで戻ってこれない状況にあるなら、戻ってこなくていい」
と言われてしまう。
故郷の経済力が落ちているのを知っている人たちの言葉だから仕方のないことかもしれない。

写真左▲ 遊子、水荷浦の段畑。植えられているのは4月頭の1週間だけで収穫される早掘り馬鈴薯。
写真右▲ 水荷浦の段畑からの眺め。沖に浮かんでいるのは、ハマチや鯛などの養殖イケス。

しかし、多くを恵んでくれた故郷が廃れていくのを傍観するのは、あまりに忍びない。
自分ひとりが故郷を背負うなどという気持ちはさらさらないが、
私を育ててくれた故郷で、人が暮らしていけるために何か一石投じたいと思う。
そこに「お前は、貧しかったころのことを知らんけん、そがいな甘いことが言えるんよ」と、大人たちの言葉がふりかかる。
いま、具体的な答えを出せずにいるけれど、
私の故郷にもまだまだ可能性はあると信じたい。
私たちの故郷を見捨てたくはないし、自分たちの「食」を手放したくない。

人間の生きる根幹である「食」を生み出す現場が悲鳴を挙げ、
「食」を生み出す「職」を捨てざるを得ない現状が私の故郷以外でも起こっている。
漁村や農村が廃れていくばかりであれば、
それは日本が「食」を捨て、貨幣価値に踊らされている証だと思う。
どんな人であろうと、食べなければ生きていけない。
いくら貨幣があろうとも、いつの日か通用しなくなるとは想像しないのだろうか。
自分が口にするものを、身近で手に入れられる安心感を私は捨てたくない。
しかし、いまの日本の教育では「食」について教わる機会があまりに少ない。
「食」と「農山漁村」は関連した問題だということに気づかなければならない。
「食」の危険性をいくら唱えたところで、
「農山漁村」の過疎の実態に目を向けなければ見えてこないものがあるはずだ。

日本の教育が、それぞれの故郷を滅ぼすための教育であっていいわけはない。
故郷を持つ私は、自分の故郷でそれを考え、
生きる道を模索したいと思っている。
食の問題にしても、環境問題にしても、
漠然と口角沫を飛ばして机上の空論を述べるよりも、
ひとつの故郷から周りを見渡し、コツコツと行動に
移したほうがいくらか地球のためになるのではないだろうか。
机に向かって人と対話しなくて済む世界よりも、
顔を合わせて、ときには喧嘩をしながらでも
隣人と力を合わせていける世界に住みたい。
便利さや経済的な潤いといった豊かさではなく、
自然や人の繋がりのなかで生じる豊かさを感じて暮らしていきたい。

写真左▲ 第二の故郷である宇和島市日振島能登の浜辺。祖父母がつくるカイボシ(干してあるゼンゴ)は絶品!
写真右▲ 日振島に住む祖父。庭先に七輪を出して、サザエを焼くのが夏のワンシーンになっている。

こんな思いを語り合える場所が欲しいと、ホームページを立ち上げ、運営している。
故郷の遊子は「遊ぶ子どもの溢れるムラ」にと、
先人たちが名づけた名前。
そんな土地の子どもたちは「遊子っ子」と呼ばれた。
それゆえ、私のホームページは「遊子っ子広場~故郷を語ろう~」という。
これをつくったことで、故郷の人、故郷を離れた人、遊子を訪れた人・・・・・・
たくさんの方から意見をもらうようになった。
でも、ホームページにばかり依存しているわけではない。
私の周りにはインターネットをしない人もいる。
だから、こうして文章を書いてはそれぞれ一筆添えて送っている。
帰省しているときは、畑に出たり、近所の家に遊びにいったりもする。
最初は私の気持ちは私の胸の内にしかなかった。
しかし、3年経ったいまでは、応援してくれる人、
語り合える人が周りにいてくれるようになった。

自分の故郷で暮らすという基本的なことが、まだ私には遠い夢。
だから、こうした繋がりを大切にしていきたいと思う。
私自身が帰ることを楽しみにしているように、
私の帰りを楽しみにしてくれる人がいてほしい。
自分の故郷で豊かな暮らしをする。
それが、私の故郷だけでなく全国各地での出来事であることを願っている。

『NEW ENERGY』No.148  2005.4  寄稿文
(社団法人 都市エネルギー協会 発行)


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