山のアルバイト。子どものころから親しむ仕事って。―限界集落に嫁いだ元新聞記者が、限界集落になりゆくむらで育った夫に聴く⑩―
圭子:
山でアルバイトしたって言いよったよね。
海でバイトって言うたら
私は、イメージがわくけど
山のバイトってどういうこと?
靖一:
山の下草刈のバイトをしたね。
造林の手伝いもしたことあるけんど。
1m60cmくらいある
刈り込み釜って手鎌で
下草を刈るが。
弟の健二と、
大人と一緒にやったね。
お母ぁの手伝いで
行ったパターンがほとんどで、
子どもだけで行ったのは中3になってからかな。
圭子:
それってアルバイト代が出るが?
靖一:
バイト代くれるで。
初めてもろうたバイト代で、
ジーンズと呼ばれる履物と
ギターを買うたわ。
なんぼもろうたろうなぁ。
1か月働いて1万円とか、
2万円とかやなかったかなぁ。
まぁ丸々1ヶ月いうことではないけんど、
2週間は働いたと思う。
朝から晩まで。
体力的には
しんどい部分はあったかもしれんけど、
メンタル的には
「大人の仲間入り」
という感じで楽しかった。
行けと言われたわけでなし。
「あんたすごいね」
とか
「やったもんじゃねや」
と言われるとね。
圭子:
そうやね。
子どもの時って
褒められると
照れくさいやけど
やる気になるよね。
靖一:
でも、田んぼの手伝いをしゆうのは
嫌やったなぁ。
中学校の頃は、
椎山の田んぼやのうて、
学校近くの田んぼやってね。
友だちらが
自転車で遊びに行きゆうのを見て、
「俺ばっかり」
と思うたことはあったね。
それでも、
何がなんでも遊びに行くとか、
親に「なんでやねん」とか言うた覚えもないし。
圭子:
田んぼも小さい頃からしよったら
覚えるがやろうね。
私はサッパリわからん…
靖一:
田んぼ耕すがも大変やったで。
耕運機は小学校6年の頃から
親父に
「靖一、今日ここ耕しとけ」
って言われるきよね。
当時は灯油エンジンでね。
かかりにくいがよ。
必死にやってかからんで、
親父を呼んだら、
親父は
「ぱっ」
とかけられるが。
悔しぃて、手ぇマメができるまでやったき。
痛うて、悔しいて、泣いたね。
圭子:
尚太郎もそうなってほしいけど
どうなるろうかなぁ。
お母ぁが、牛を飼いよった話もするよね。
耕作用やったが?
靖一:
いや。
俺らが子どもの頃におった家の牛は、
肉用やったね。
赤牛というやつ。
ホルスタイン、乳牛を
飼いよった人もおったけどね。
自分らで餌、カヤを
刈ってきて飼うがやき。
えらい人らは
2頭飼うた人もおったね。
だいたいは1頭ずつ飼って、
大きくなった頃に
馬喰(ばくろう)と呼ばれる人らが
買いにきたと思う。
圭子:
本で見たころがある!
「馬喰」って。
靖一:
うちの牛らも、
中学校の頃には
おらんなっとったきね。
牛も1頭ずつ飼いよったのが、
どんどん専業化していったがやろうね。
圭子:
うちらは豚と蚕を飼いよったのは
聴いたことがあるよ。
靖一:
中学校ばぁになったら、
畑山に住みよった伯母らが街へ出たき、
その空き家で蚕を20歳ころまでは飼いよったね。