高知県の地鶏「土佐ジロー」専門店

畑山だからの生き方。

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靖一さんと出会って15年が経ちます。

 

私が大学3年の時、畑山を訪ねたのが、

初めての出会いでした。

 

嫁に来ようと思ったのは2010年の6月でした。

 

新聞記者になって5年目のことでした。

 

付き合ってもいなかったけれど

靖一さんと、畑山で生きたい、と思って

押し掛けて来ました(笑)

 

土佐ジローの味に魅せられたのはもちろんですが

土佐ジローをこの味にまで引き上げた研究心と実行力に脱帽でした。

 

でも、【職人】の靖一さんには

パートナーが必要だと思ったんです。

 

私は靖一さんのように、こだわりをもって

生産をすることはできないかも知れないけれど

美味しいジローを美味しいと表現はできる、と思ったのでした。

 

 

それは、宿に置いていあるノートに

お客さんが書いてくれるメッセージからも

確信をしていました。

 

 

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はたやま憩の家を靖一さんが引きうけたのは

15年前のことでした。

 

赤字経営が続き、閉鎖が検討されていた施設です。

限界集落での集客は、限りなく不可能だと

周りの誰もが考えたことでした。

 

でも、靖一さんの頭の中ではこんな想いがありました。

「畑山の唯一の交流拠点施設がなくなれば

 土佐ジローを幾ら頑張っても、集落への県道は維持されないかも知れない。

 他のライフラインも同じ。

 人を呼び込む施設をなんとか維持しなければ」

 

 

土佐ジローの味は

多くの人を魅了し

リピーターを含め、たくさんの方に

畑山に来てもらう契機をつくってくれました。

 

 

人口は減少し続け、今は40人を割り込みました。

でも、宿には年間3千人ほどが訪ねて来てくれています。

県道も維持拡幅してもらい、

土砂崩れがあっても

すぐに対応してもらえています。

 

 

学生時代、町おこし・まちづくりに夢中だった私は

いろいろとお世話になった地域や人がいます。

 

新聞記者を経て、畑山へ飛び込んで来たことで

再び縁強くなった人もたくさんいます。

そして、畑山を訪ねてくれたりしています。

 

 

 

​

 

畑山で生きること、事業をすることは

決して、平易な道ではないです。

 

確実な未来を描けているわけでもないです。

 

でも、私は、畑山を選んだことを、後悔はしていません。

 

サラリーマン時代には得られなかった

好奇心や探求心の強まりを感じています。

 

 

畑山で生きるからこそ

私らしく生きられるていると思っています。

 

 

そんな畑山で、これからも頑張っていきたいと思うのです。

 

 


畑山での未来に向け

クラウドファンディングを実施しています。

詳しくは、こちらをご覧ください。

限界集落の幻の地鶏・土佐ジローを救え!加工場建設プロジェクト

 

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