高知県の地鶏「土佐ジロー」専門店

はたやま夢楽
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畑山を楽しんでくれる人たち

ペルセウス座流星群のピークを迎えました。

夕べは生憎の曇天。

 

残念ながら…

夏の大三角形くらいしか見られませんでした。

 

いつもは、星があり過ぎて

大三角形が分かりづらい畑山ですが

昨夜は、大三角形が良く分かりました(^^;)

 

でも、あと1週間程度は、

晴れ間がのぞけば流れ星が楽しめるでしょうか。

 

はたやま憩の家は

連日、満室のご予約をいただいています。

中には5連泊の方も( ゚Д゚)

 

20日以降は、空室がありますので

ご検討ください(^^)/

 

はたやま憩の家 ご宿泊予約

 

土佐ジローは、もちろん喜んでいただいています。

お昼に来て、川遊びを楽しむ家族も。

夜、ハンモックでゆらゆらしたり、花火を楽しんだり。

 

畑山だからこそ、

の思い出を作っていただいているようです。

 

 

昨日のランチは、

次男の同級生家族が遊びに来てくれていました。

昨日は5家族。

 

 

畑山の子どもといえば

小松家の長男・次男しかいません。

 

でも、友だち家族が

「畑山で遊びたい!」と、よく段取ってくれるんです。

 

多い時には10家族30人以上が

はたやま憩の家を拠点に

土佐ジローを食べたり、

わいわいと、山遊びに興じてくれます。

 

昨日は、生憎の雨・曇りで

どうなることかと思いましたが

ジローを食べたあとで、外遊びができるように。

 

 

 

水着に着替えたり、服のまま泳いだり。

 

うちの子たちを「たくましい」と言っていただくんですが

保育園の友だちは、もっともっとたくましい子もいて

一緒に遊ぶのが嬉しくなります。

 

 

 

 

今夏は豪雨の影響で遊べないと諦めかけてましたが

こうして、子どもたちを迎えて

畑山で賑やかな時間を過ごすことができました。

 

 

 

 

 

 

畑山は、戦国期には城跡があり

江戸時代にも800人が暮らしたという集落です。

半世紀前までは、小学校の本校と分校も2校がありました。

夫であり、はたやま夢楽会長である靖一さんが

幼いころは、まだ800人が暮らし

商店も複数あったといいます。

 

畑山小学校に入学した当時は10人を超えた同級生が

畑山中学校を卒業するときには4人になっていました。

 

人口は急激に減り続け

今、畑山で暮らしている人は30人を割り込んでいます。

 

私が嫁に来た時、

還暦以下の女性は誰一人いませんでした。

 

小学校も平成8年に廃校になっています。

 

でも、私たち夫婦は、

「畑山で生きたい!」と想いました。

 

畑山の空気感、川との距離感、

自然と生きる知恵を持つ人たち

こうして遊んでみたい、これを創ってみたい…

 

やりたいことが無数にあるのが畑山という土地であり

それを可能にできる人的な資源(人数ではなく)がある土地だと思っています。

 

私が嫁に来た時、靖一さんの伯母はこう私に言いました。

 

「学校に行くでも、仕事に就くでも、嫁に行くでも

 家よりも一歩でも、町に近いところへ出ろ

 と学校の先生に教わって、そう思って来た。

 なぜ、この時代に、畑山へ嫁に来るのか」

 

伯母だけでなく、私が嫁に来た時

年輩の人たちが、その真意を図りかねて

変なヤツが来た、と物見遊山のように訪ねて来ました。

 

高知新聞で2年間、1面を使った連載をさせてもらいました。

 

私がやりたいこと

畑山でやっていること、

お客さんが何を求めてやってくるか

どんな暮らしをしているのか

 

日常をつづりました。

 

その後もテレビや他紙での出演や連載を続ける中で

少しずつ理解も広がってきました。

 

私が好きなこと。

 

例えば、畑山で子どもたちと一緒に遊ぶこと。

 

それを共に遊びたい、と言ってくれる友だちが増えました。

保育園の友だちもそう。

安芸市街や、都会で暮らす友だちもそう。

 

畑山に子どもたちの歓声が響くことで

近所のばぁちゃんたちも喜んでくれます。

子どもの声がうるさい!と叱る大人は誰もいません。

 

はたやま憩の家を訪ねて来てくれるお客さんたちもそう。

 

ただ、土佐ジローを食べて泊まるだけでなく

夜空を共に眺め、日常の暮らしを語りあい

川遊びを共にしてくれる人たちも増えてきました。

 

畑山への見方も

私が嫁に来た時とは

少しずつ変わってきたと思います。

 

田舎には何もない、のではないんです。

 

田舎だからこそ、楽しめることがたくさんあります。

 

畑山だからこそ、

私たちは生きたいと思います。

 

生きるために、

仕事を生み出し

楽しめる環境を創りたいと思います。

 

ここで生きるための糧が

私たちにとっては、土佐ジローです。

 

今回、土佐ジローの加工場を建設することは

とてもハードルの高いことではありますが

私たちが、畑山で生きるための糧を生み出す

大切な、大切な、施設なのです。

 

クラウドファンディングでのご支援のお願いも

残すところ半月となりました。

 

ネクストゴールの800万円まで

あと50万円ほどになりました。

 

ご支援をご検討いただいている方

どうか、よろしくお願いいたします

 

クラウドファンディングはこちら。

 

はたやま夢楽(むら)

小松圭子 

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