豪雨により孤立しています。ご注文、ご予約をお受けできません。
7月5日からの豪雨で
6日朝から、集落が孤立した状態が続いています。
電話や電気、水が完全に止まっているため
ご報告が遅くなり、ご迷惑をおかけしております。
高知県からは、復旧に1-2か月と言われておりますが
関係各所の皆様にご尽力をいただいておりますので
1日でも早く、皆が畑山で過ごせる日を心待ちにしています。
当面の間、土佐ジローのご注文はお受けできません。
はたやま憩の家のご予約もお断りせざるを得ない状況です。
昨日の午後、自衛隊のヘリに救助されたことで
ご連絡ができるようになったところです。
持って降りられたのがわずかなもので
連絡が行き届いておりませず
大変申し訳ございません。
順次、こちらから、ご連絡を差し上げているところではありますが
予約のキャンセルや、お問い合わせも対応させていただきますので
こちらまで、ご連絡をいただければ幸いです。
電話;090-4787-0413
メール;tosajiro@hyper.ocn.ne.jp
以下、被災状況についてご報告です。
7月5日(木)より降り続いた豪雨で
累加雨量が1,000mmに到達しそうな畑山でした。
近所のばぁちゃんから
「昔、この橋の上まで水が来たことがある。
もしかしたら、超えることがあるかもしれん。
そうなったら、憩の家に避難したい」
と話しがありました。
ただでさえ、県道の崩落や崩土が頻発する畑山なので
憩の家で待機することにしました。
行政的な、避難場所も畑山にはありません。
川向かいに廃校はありますが…
夜中、ばぁちゃんから電話があり
家が浸水したので見に来てほしい、と。
真っ暗闇の中、靖一さんが見たのは
これまでに見たことのない川の水量だったそうです。
ばぁちゃんたちは停電になった午前2時半ごろ
はたやま憩の家に避難してきてくれました。
朝、起きてみると変わり果てた畑山でした。
宿の坂道を降りると堤防がありました。
江戸時代に築かれたという堤防です。
これまで、川が見えたことはありませんでした。
橋までの県道がありませんでした。
そして、まだまだえぐられていくのです。
雨はやみません。
明け方から、Softbankの携帯電話も圏外になったまま。
たぶん、畑山へのケーブルが途切れたのでしょう。
でも、固定電話は大丈夫、と油断していたら
固定電話さえ通じません。
連絡手段が絶たれました。
それでも、土佐ジローは生きてます。
ヒヨコも生まれたばかり。
世話をするために、安芸くんと茂さんが
歩いて出かけていきました。
手分けして安否確認をして
畑山に残っているのは29人だとわかりました。
ひとまず全員の無事が確認できました。
廃校に自主防災の衛星電話があります。
でも、橋を渡れません。
下手にある吊り橋はなんとか耐えてくれてるようです。
でも、川の水量がものすごいのです。
夕方、靖一さんと、茂さんが吊り橋を渡ってくれ
衛星電話をもってきてくれました。
市役所と連絡がついた、と言います。
でも、バッテリーがすぐになくなり
またまた連絡が取れなくなりました。
6日の夜のことです。
発電機がなかったか、と探すことにしました。
その一方で、歩いて下山してみよう、ということに。
金曜日は加工発送ができていません。
お客さんに連絡ができていません。
日曜日には、イベントも企画していました。
どうにか連絡を取りたいと思いました。
雨合羽を着て、ヘルメットをかぶり
荷物を雨でぬれないようにして
茂さんと歩きだしました。
雨が降り続ける中
写真を撮る余裕はありませんでしたが
崩落はもちろん、道の陥没も複数個所で発生していました。
それでも、憩の家から8kmくらいは歩いていけました。
降りられるかも!と思っていたのに
道がすべて欠落してました。
雨も激しく、雷も時折なってます。
川の水量も、ものすごい。
もう無理でした。
引き返しながら、各家をまわり
発電機を探しました。
帰ってみると靖一さんが
発電機を借りてくれてました。
でも、うまくかかりません…
水が入ってたようで
翌朝には無事、使えるようになっていました。
おかげで発電機がある間は、
雲間が薄い間は、連絡が取れるようになりました。
でも、救助という話はなかなか出てきませんでした。
日曜まで雨が降り続きましたが小降りのところを見ながら
子どもたちと、外へ。
電柱って河原に突き刺さるもの??
県道ってここまで流されるの???
山の中で、ラジオが若干入る程度の情報量…
ネットなどはもちろん、つながりません。
頼みの綱は衛星電話だけ。
台風の進路がどうなったのか。
これから雨がどうなるのか。
不安な日々でした。
食事などでは、さほど不便でもなく過ごしたけれど
情報不足で、不安が増大していた感じです。
食事は、お客さんに出せない代わりに
土佐ジローが冷蔵・冷凍庫にたくさん。
炊き込みご飯や、からあげ、親子丼、
手羽のからあげ、ジロースープ
避難してきたばぁちゃんが持ってきてくれた
畑山川のアユ。。。
雨が落ち着いてからは、近くのじいちゃん家に水を分けてもらいにいきました。
洗い物にもさほど不自由しなくなりました。
月曜日の朝、急遽ヘリコプターで
市街地まで送ってもらえることになりました。
あわてて、じいちゃんばちゃんに話しに行きます。
各所で寸断された道を歩いて南北に3kmほど。
手分けしていきます。
じぃちゃんばぁちゃんは、畑山を出たくないから
ヘリには乗らない、という人も多く
復旧がいつになるかわからないからと
説得してまわります。
一番遠くになる私たちの家には
80歳を超える母もいます。
歩いて来られる状態ではないです。
そんな状態の高齢者を
ヘリがつく場所へ…
不安と焦りの中、ヘリが到着しました。
ヘリが降りようと向かってきたときには
子どもたちと大手を振り
涙が流れました。
安芸消防所と自衛隊の方が
降りてきてくれ、状況を聞いてくれ
母たちの迎えに加勢してくれました。
茂さんたちの説得も通じて
19人が下山してくれることになりました。
当初は川向うの廃校のグランドと言ってた
ヘリの着陸場所も現地を確認してもらって
遊休になってる田んぼに着陸してくれ
ばぁちゃんたちも、さほど歩くことなく
ヘリに乗ることができました。
私も3回目の最終便に
子どもと義母と乗ることができ
安芸の市街地へ降り立つことができました。
靖一さんと、兄弟たち、安芸くんは
畑山へ残り、土佐ジローの世話をしたり
県道の復旧工事に加勢することになりました。
衛星電話しかやり取りできない状態は続いていますが
今日も元気で、畑山で頑張ってくれているようです。
県からの話では復旧までに1か月はかかるだろう
と言われています。
でも、少しでも早まるよう
畑山へ帰れる日が来るよう
土佐ジローをお届けできる日がくるよう
頑張っていきたいと思います。
正直、金曜日の時点で
私には絶望しかありませんでした。
畑山の集団離村も脳裏にありました。
でも、靖一さんは、ここをこうすれば、この時間でここまでできる
新しい加工場を建てるためには、この被害をこう考えれば有効だ
などと宣うのです。
あきれるほどに、ジローのことになると前向きです。
というわけで、あきらめてる暇はなく
土佐ジローを再びお届けできる日がくるよう
頑張っているところです。
ご迷惑をおかけしますが
再興できるまで
今しばらくお時間をください。
何卒宜しくお願い致します。
はたやま夢楽
小松圭子