自然をおう歌した子ども時代ー限界集落に嫁いだ元新聞記者が、限界集落になりゆくむらで育った夫に聴く②-
故郷をないがしろにされるのが嫌だった
と、靖一さんは言う。
故郷を好きになったのは
子どものころの記憶があるからだと思う。
どんな幼少時代を過ごしたのだろう。
圭子:
子どものころは、大家族だった?
靖一:
家族は寺内(てらうち)の家に、
両親と弟2人と、
おじぃおばあの7人。
山の上の椎山(しいやま)に、
ひぃじぃさんとひぃばあさんが住みよった。
椎山へは山の中の道を歩いて40分くらいかな。
圭子:
おじいさんは、いつ寺内へ降りてきたの?
靖一:
おじぃは、嫁をもらってから
寺内へ降りてきちゅう。
寺内の家は、嫁、
俺のおばあさんの実家やったらしいきね。
おばあさんの親とか兄とかは、
魚梁瀬(やなせ)へ移住したらしい。
移住後に結婚したがやろうね。
家が空いとったき、おじぃさんと暮らすようになったと。
圭子:
家業は何になるがやろ?
靖一:
うちの親は、
田んぼをして炭焼きをしよったね。
田んぼは、
ほとんどが椎山(しいやま)にあった。
毎日、寺内から歩いて椎山へ
お母(かぁ)らは行きよったね。
圭子:
子どものころの記憶の始まりって
いつぐらい?
靖一:
椎山の家から東の上の端に
田んぼがあったがね。
そこで、みかん箱というか
木の箱に俺が
ちょこんとおるところに、
お母が木の枝を、シバを
持ってばんばんやりゆうがよ。
あとで聞いたら、蜂に襲われとった。
自分がぎゃあぎゃあ泣くところに、
お母が来たら蜂がおったらしいがよ。
俺の記憶の始まりは、それかなぁ。
圭子:
今の畑山からは想像しにくいけど
周りに同世代もおったがでね。
友だちとも遊んだ?
靖一:
小学校にあがるまでは、
兄弟で遊んだね。
近所の子ぉらと遊ぶ時間はなかった。
おばあさんに連れてもらった記憶がなくって、
椎山まで行って、
ひぃばあさんに遊んでもらったというか、
その人を頼りに椎山へあがったんだろうな。
その家の周辺で遊ぶか、
親父の炭窯の作業場で
遊ぶかやったね。
おもちゃがあるわけでなし。
炭窯の近くで、
カミキリムシの幼虫を炭で焼いて食べたなぁ。
圭子:
子どもらだけで食べたが?
靖一:
親父に何回か焼いてもろうたら、
あとは自分らぁで焼いて食べたと思う。
薪割りしよったら出てくるけん。
シイノキとかに入るでっかいやつ。
大人の小指くらいの大きさの。
見りゃイモムシよなぁ。
でも、ひもじくて食べたというよりも、
美味しくて食べたがよ。
圭子:今でも食べたいと思うような味?
靖一:
今でも採れたら食べたいと思うなぁ。
圭子:
他にどんなことして遊んだの?
靖一:
炭窯の周りでぇ言うたら、
近くの沢で水浴びもしたなぁ。
イノシシのヌタ遊びみたいに。
小さい沢やけん、
よぅヒルが体についてね。
特に嫌がるでなし。
吸血動物が
身近におるんが
当たり前やったけん、
大げさに思うたことはなかったね。
食いつかれたら「ほれほれー」って、取ったもんよ。
圭子:ほかに食べたものは?
靖一:
木の実もいろいろ食べたね。
食べちゃいかんもんは
親に習うとるけん。
あとは自分で食べて、
あれはうまい、
とか、
まずい、
とか。
寺内にお菓子とかないきね。
圭子:ワイルドやね。
靖一:
考えたら凄いところで育っちゅうな(笑)。
畑山の学校に来るようになってから、
お菓子類を見たのかな。
今でこそ限界集落になって
商店は1軒もないけど、
昔はマツナミ、ウダ、
コマツ、アリミツ、オハラと
6軒もあった。
塩屋が2軒、たばこやが3軒、
雑貨やお菓子を扱うところもあったきね。
(つづく)