NHKラジオに生出演しました。
先ほど、5時45分ごろから
NHKラジオに生出演させていただきました(^^)
今日の話題は
「椎山神事(しいやま・じんじ)」について、でした。
先日、このブログでも紹介させていただいた
50年ほど前に消滅した
椎山で、毎年行う神事を
ラジオでもお話しさせていただきました。
椎山は、畑山の中にある一つの集落でしたが
林業の自由化や、車の通れる道が通らなかったことなどから
次第に安芸市街地や、県道の通った畑山の別の集落に
人が移り住み、半世紀ほど前に無人になりました。
集落が消滅してしまいました。
今58歳の靖一さんが
子どものころには
まだ、ひぃばぁちゃんたちが
椎山で暮らしていて
次男の健ちゃんはもちろん
三男の茂さんも
椎山へは良く通って
ひぃばぁちゃんたちが可愛がってくれたんだそうです。
その頃は、まだ数件の家があったんだとか。
ひぃばぁちゃんたちが安芸市街地に出ていく時は
椎山の家ごと、町に移したんだそうです。
最後の1軒だと思っていたら
靖一さんより、少し年上の人が椎山から
畑山小学校へ通って来ていたようで
ひぃばぁちゃんたちが出た後も1軒残っていたそうです。
靖一さんの祖父母の代で
県道の通った寺内(現在の家がある集落)へ移り住み
靖一さんたちは、寺内で育ちました。
大字が畑山、
小字が寺内や椎山
といった具合です。
椎山は無人になりましたが
神事だけは
変わらず、椎山で行ってきました。
お墓は、寺内の近く、深瀬におろしていますが
お宮は、まだ椎山にあります。
亡くなって50年は、お墓でまつり
50年が経てばお宮でまつる。
そんな風習があります。
椎山集落の神様のお祭りが
旧暦の11月15日。
その日に、お宮へ向かいます。
以前は、椎山出身の人たちで
お宮の前で宴をした話は
今も語り継がれていますが
近年は、小松家のみとなっています。
去年、おととしは、我が家からも
健ちゃんだけしか行けませんでしたが…
容易く行ける場所ではないので、
なかなか行くのも難しいのです。
寿恵子母などは、毎日通って畑仕事をしていたんだそう。
田んぼの跡が今も山の中にあります。
道が険しく、80歳を超えた母は
もう行くことはできません。
どんな道かというと・・・
丸太をかけた場所もあります。
これは、靖一さんがかつてかけた丸太だそうです。
道は、公仕事と思ってきましたが
人のいなくなった場所では
自分たちで作らねばならないんですね…
これは別の丸太です。
上からの土砂崩れで
丸太の下部分がえぐられて…
子どもを渡すのに、ちょっと大変でした。
丸太=橋の無いところもあります。
増水すると、まず渡れません…
川の石は滑ります。
要注意…
でも、この川を渡ると
最後の坂になります。
おんぶされていた晃大も歩き始めましたw
上着を脱いで、
杖を手に
張り切って登っていきます。
椎山の石積みが見えてきました。
収穫する人もいなくなってしまったけれど
柚子の実はまだ実っていました。
他の家はもうなくなってしまったけれど
最後の1軒がまだ屋根も残っています。
この山中に、突然
こんな人家が現れるんです。
半世紀で、こんなに変わるんだなぁという感慨もありますが
この地で暮らしていた人たちの糧や
歴史がとても気になります。
愛媛だと、まだ山腹に、
このような集落が残っています。
でも、県道がついています。
何の違いがここにあるんだろう…
と、ついつい考えてしまいます。
ここに集落ができたことは分かるんです。
飲む水もあるし
田んぼも開いていた。
今、暮らしている寺内よりも
椎山の方が、日当たりは良いんです。
だから、開かれたんだろうなぁ…と思うんです。
今は代替わりしているけれど
椎の大木がたくさんあったそうです。
そして、こうして、お宮があります。
もう少し上には、鎮守の森のような
アリミヤ様もあるようです。
でも、椎山はなくなってしまった。
集落が消える
集落を紡ぐ、繋げていく
ここに来ると、そのことを考えています。
長くなったので、肝心の神事については
また別の機会に。。。