大瀬講演3
地域の中でなにができるかということで、土佐ジローをやってきました。土佐ジローを頑張ったことで、畑山が残っていく。自分が本当に畑山におりたいだけやったら、自給自足でおればいいじゃないかと思います。でも、そうじゃなくて、こんなええところがあってとか、地域をきちんと主張しながら、とか。畑山におりたいということで、土佐ジローで頑張っておりますときに、畑山温泉憩の家が閉鎖されるということになりました。畑山温泉は、僕が青年団長なったときに、オープニングがあった温泉施設で、毎年温泉祭りをしたりして関わってきました。安芸市営で、地域の婦人会にまるまる委託して、山菜料理だけを提供しながら、運営をしておりました。
22~23年、安芸市が直接経営をしておりましたけんど、毎年600万円くらいの赤字がありました。「累積したらとんでもないことになっちゅうぞ」と議会で、職員が怒られたそうです。そこで、閉鎖対象になり、地域にも「閉鎖やむなし」という説明がされました。僕としては、地域を何とかしたいと思って土佐ジローをやってきたので、唯一の交流施設がなくなるのは困ると。ほかに手立てはないのか、ということを相談しました。
「指定管理者という制度にのせて、民間に出すのが一つの手である」と言われました。僕は行政のことで知らないことがたくさんありましたが、それしかないと思い、会社を立ち上げ、指定管理という制度に乗せてなにがなんでも引き受けんと、この施設はなくなると思うて引き受けました。ただ、引き受けて1か月くらいで、男湯の真ん中のほうに、空気の出る泡の出る装置があったがですけんど、そこが腐って浴槽の床が抜けました。もう1ヶ月くらいしたら、ボイラーから風呂場に通っている鉄のパイプが腐って、床をはがんといかん事態になった。びっくりするくらい、とんでもないことがおきました。入ったその日に、ボロボロになっていた勝手口のドアを直しましたが、「こればぁは自分で直さないかんやろ」と思うて直しました。でも、そんなに僕らも余裕があってやりよるもんやないがです。市役所と押し問答をしながら、直していったがですけんど。半年したら、県の職員が来て「小松さん。指定管理というのは、本当言うたら真っ新に近いくらい、きちんとリフォームしたものを、民間に出すのが本来のありかたながやで」と言われた。俺ははめられたのか、と。今でも、市の担当職員に「はめたねや」という話をします。嫌がりますけんど。
福祉施設として、国の補助金を入れていたので、引き受ける前には、福祉行政の中で相当たらいまわしになっていたようです。最後の担当課では、「民間へ出して、3年小松靖一がやってダメやったら、閉鎖しても行政のせいやない」という思惑があったんやろうと思うてます。そういうこともあって、今の若い担当職員に「はめたねや」という。嫌がられても、そのくらいの施設やったがです。
でも、僕が引き受けたとき、思いのほか、新聞やテレビなどが応援してくれた。いろんな人のおかげと、片っ方では節約という努力もしましたが、3年目にはプラス1200万円。ほぼわずかではありますが、黒字という数字が出せました。微妙なところは、僕の人件費をどうするかというところではありますが、表向きには何万円かの黒字を計上できました。今の時代背景とか、地域的な立地とかを考えたら、軌跡的なことやと思います。土佐ジロー、あんたはすごいと思うたことやったです。
この一大要因は、土佐ジローという商品商材ながです。土佐ジローを飼い始めたころに、僕らも牛のレバーとか肝の刺身系のものは好きやったですき、食べよったですけど、鶏の内臓を刺身で食べられる、食おうとは思わんかった。トサカが食べられるとは思うてなかった。それを、実際にメニューにしたのは、温泉を引き受けて3年4年くらいたってから。最初は土佐ジローの親子丼を看板にしていた。そのころの親子丼を「これはうまい」と、いろんな人に胸張って出しよったがです。でも、高知市内の料理人が来て食べたときに「小松さん、もう一工夫や」と言われました。そして、料理学校の校長先生らが何人か集まって、親子丼を作るので、「小松さん肉持って来て」と言われて、肉とガラを持っていきました。でも、卵を忘れて「卵が無かったら親子丼にならんやん」って怒られながら、卵はスーパーで買ったものを使いました。畑山温泉でも、カツオ出汁で肉も卵も土佐ジローを使ってるのに、普通の卵で作った親子丼が旨かったがです。出汁の意味を教えてもらいました。そんな人たちの応援を得ながら、少しずつスキルアップをし、今はほぼ固定化した親子丼になりました。
今、トサカの刺身も提供しています。温泉を引き受けたころ、宣伝せないかんと、イベントにも一生懸命行きよりました。内臓も焼いたら、美味しいというのは自分らも知っとったので。食べろうと思ってイベントに持って行ったがです。そこへ生レバーを大好きな友達がやって来て。「靖一、これいつやったがな」「今朝さばいて持ってきた」「ほなら大丈夫やね」と醤油をかけてペロッと食べた。しばらく様子みようと、何時間とかね。全然大丈夫そうや。それで、自分で食べたら、甘くておいしい。でも、まだ商品になるとは全然、思いません。
刺身で食べるよりも前に、まだ地域のおんちゃんが元気で、一緒にさばきよった時にトサカの注文が100枚ばぁきました。おんちゃんに「トサカら、どうするがやろね」と僕が言うた。食べるもんやないかなと思いながら。おんちゃんが「きれいやき、皿鉢の縁に飾るがやないやろうかね」と言うたけんど。なかなか飾ってもグロテスクで…。
食べられるというのは、後々に、中国の人がうちにトサカを買いに来てくれたりして、食材であることを知っていきます。トサカは普通、イタリア料理にも中華料理にもフランス料理にもありますけんど。雌でもトサカの立派なのはおるけんど。2、3年育てた鶏のトサカを化粧品とか、食材としてスープなどの煮込みに使う。土佐ジローは刺身で食べます。ヨーロッパや中国には、生で食べる食文化がないというのもあるとは思いますが。150日という日齢がポイントになっています。150日を過ぎると、刺身で食べようとすると、とても固い。スーパーに出る肉は60日でお肉になるので、ピヨピヨ言いながら、肉になっています。トサカも精巣も小さい。柔らかくて刺身で食べるような商材は、鶏業界ではないがです。トサカを生で食べる商材は土佐ジローくらいやと思います。
新鮮なのを知り合いの居酒屋に持って行って「食べてみてや」と言うたら、「うまい、うまい」ってことになって。商品
にするには、細菌検査とかをせんと胸を張って出せんやないですか。「今日の客は大丈夫やったな」とかね。そんな商売はできんですよね。細菌検査もきちんとした上で出していこうと。
さばいたときに、本当に健康な鶏の内臓周辺は無菌状態。それを適正に処理して行ったら、ムネをはって刺身で出せます。3日間、お客さんに「どうぞ」って出す。売れ残ったら、4日目、5日目、6日目は僕、自分で食べています。そのくらいの根拠を持ってないと、本当に鮮度さだけやったら、「今日の客大丈夫やったなぁ」と、そんなことを心配しながらお客さんに出さないかんやろうと思います。
生肉と内臓の一般細菌をはかったら、内臓の方が圧倒的に少ない。無いものを適正に処理する。まな板の上に、一般細菌は、けっこうある。肉は、まな板の上でひっくり返しながらさばいていきますので、雑菌は少しはつく。どこの処理場も、一般細菌を減らそうと努力している。内臓はまな板の上でそう転がさない。無菌状態から流水で流しながら、腸の中との接点を限りなくゼロに近い状態で切り離していきます。最後に皿へ盛る時に、まな板の上に乗るだけなので、細菌の数はものすごく少ない状態で、お客さんに出せます。そうじゃないと、なかなか刺身としては出せない。食べる気にならんかったはずの刺身を、今、喜んで一生懸命出してます。鶏の系統、掛け合わせ、総合的なかかわりがあって、安全なお肉がつくれているということです。
畑山で、土佐ジローとか、畑山温泉のことで、頑張りよる姿を見て、いろんな人が関わりたくなったということがあったと思います。畑山の学校プロジェクトは、一時期、何十万単位の事業とかいっぱい引っ張り込んで、改修とかをしました。マスコミ、ごめんなはり線を支援する会。そこらが安芸東部地域活性化みたいなことをするために、何をどうしようかという、勉強会を何回かやりました。僕も勉強会へ行くようになって。「畑山へ集中的に関わってみようやないか」という時期がありました。侃侃諤諤、協議をする中で、学校施設の2階は童謡作曲家の西村直記さんの活動拠点としてのスペースがありますが、1階には共用スペースがあります。なかなか大きなお金を入れて何かをつくることにはならんけんど。「古本を寄付してもらうよう声を掛けてみようか」。集めるお金がないので、出してくれる人の送料持ちで、投げかけた。新聞でもテレビでも広報コーナーでもしゃべりました。「本を送ってください。詳しいことはこちらまで」。詳しいことは、送料持ちでということです。集まらんやろうと思うたら、意外と集まりました。本に思い入れがあればあるほど、ブックなんとかに売るよりも、所在のちゃんとしたところに預かってもろうて有効活用してもらう状況がわかった方がええみたいですね。自分の可愛がった本の行く末を心配する本の持ち主が、わざわざ訪ねてきたこともありました。思いのほか、本が集まり、2万~3万冊を、1階部分に古本図書館として公開をしております。運営については、地元の有志でつくる「はたやま夢楽実行委員会」で、現実には、人件費は払えませんので、ボケ防止に、大先輩のおばあちゃんに留守番してもらうような形の運営ではありますが。土日に開館というくらいしかできていないけど。
昨年、国の直轄で、建設業界にいわゆる地域貢献をしなさいという目的の、補助事業があって、安芸の何社かの建設業者が、それを入れて畑山でなんかしたい。と申し出てくれて。教員住宅があったがですが、それも古びて、朽ちていくさまを毎日見ながら僕はつらい思いをしておりました。腐らすだけかよ、と。名目がいろいろ変って、最後は福祉住宅という名前になって、なかなか使い道のないまんま、ほったらかしにあったものを。個人的には、今やったら、屋根を直したらどうにかなるな、と思っていました。でも、安芸市にはお金がないので、手つかずの状態にありました。それを、イベントや合宿誘致とかで使えるような目的で改修をしました。個人的には、定住促進住宅のような活用の仕方へつなげていきたいと思っていますが、交流研修施設の目的で改修しましたので、当面はそういう目的で使っていかないかんと思うております。
畑山は遠い。道の事情が悪いです。でも、川の規模は、ちょうどええ。高知にはぼっちりという言葉がありますけど。僕らにとって、ぼっちりの川があります。そこへ親子で来て、お父さんと子どもは川で遊んで、お母さんは図書館で本を読む。本を見ながら、句会のような集まりごともできる施設として活用できるような。地域には山があって、川があって、食べるものがあって。地域の総合魅力。県の史跡にもなっている出城の跡があります。そのような地域を散策したり、本を読んだり。地域の総合魅力の底上げになれたらいいなと思って、図書館構想などをやってきました。それ以上に学校施設がある以上。なかなか大学の体育会系の部活動誘致は難しいが、10人とか20人とかのサークルとか小さいクラブなら入ってこれるという情報の出し方はできるんじゃないかと。自分たちで想像しながら畑山で楽しむように。遊びを創造する。産業も想像する。創意工夫の中で、新しいものができていく。土佐ジローがオンリーワンになっていく仕組みをつくりたいと考えながらやってきましたので、オンリーワンになれるように、自らが想像しながら畑山を楽しむ環境がつくれたらなと。実際に40人のうち、動けるのは10何人くらいしかおりませんので。箱ものばかりを整備してもどもならんじゃないかという意見もあると思いますが、ハードもソフトも同時に作っていかないかんやろと。
おととし1番近くで1年間で4人亡くなりました。悲しい話ですけんど。ただ、去年はありがたいことに、奥さんも含めて、僕より年下が4人増えましたので。完全に折れ線グラフみたいにみていったら、とんでもないことがおきた、と。毎年、そうなるとは思っていませんが。入ってくる人への生活基盤や受け皿を、3年に1人ずつでも、若い世代が入ってこれる環境がつくれたら、限界のところから、本当に少ないかもしれないが、右肩上がりのグラフが書けるのではと考えております。
図書館の内装です。主に右上の本の表紙を並べたのは、童話の本をたくさん並べました。本棚にふつうに収めた部分もありますが。レイアウトとか、資材の仕入れとか、いろんな部分を高知工科大学の有志というか、かかわってくれた教授や学生が、レイアウトとかをしてくれました。小さい家具とかテーブルは、高知工業高校の建築科の生徒さんにも手伝ってもらってます。
畑山にこだわる理由。なんでかな、と考えたときに。畑山の川で遊んだ、山で遊んだ。川で遊んだときは、おやじに殴られて、家追い出されるくらい、遅くなるまで川で遊びました。山に入って、山の上から川までの、雑木の、木の枝から木の枝をつたって300mくらい山の上から下りた。サルのように。スギの木ではそうもいかんですけんど。アケビ取ろうと思うて行ったのが
始まりやったけんど。こんなに楽しい畑山が、どんなに考えても何年後かになくなっていくのが納得いかんかって。おりたいと思うた。おりたいだけなら自給自足でおったらいいじゃないか、と。それを自分ところの地域を主張しながら、おりたいというのが自分のこだわりであって。あとは、次の人にそういう状況を伝えたい、と。僕が子供のとき、大好きな先輩が、小学校高学年になって地域の祭りで、神輿をかつぐようになって。大人の仲間入りをして、ええなぁと思うた。何年生になって、ぼくもそうなりたい。野生な部分で、こだわる理由ができてきたと思うた。理屈ぬきで、なにくそとか、こんちくしょうをやりたいと思うたのが、一番の理由やと思います。
地域としては、それぞれの若い人と年寄の役割が相互に反映しながら成り立つと思いますので。畑山には結構な面積があります。そこをうまく活用しながら、土佐ジローを産業と情報発信の軸にして、人にも入ってきてもらわないかんし、お金かけるだけなら別の方法を考えないかんけんど。新しい田舎型産業。小さい規模の、六次産業から始めて。働き盛りが20人くらいが働ける。それの先輩と次の世代、40~50人がおれる地域は作れるのではないかと夢を描きながら、新しい田舎型産業をつくることで、小さい「はたやまむら」。地域の自立が作っていけたらいいなと思っています。
定住への手立て。さっき言うた定住促進住宅のあり方とかも含めて。あまりにもなにもかにも準備をして人を募集してしまうと、ある意味無責任な人が入ってしまいます。高知県でも手立てをし過ぎて、ある町で新しく入ってきた人が2年目に覚せい剤で捕まりました。別の村に入ってきた人は、大麻栽培で捕まった。悪い人ばかりとは限らないが。入ってきてもらいたい人に、てめえの3年分の食べる糧とかを持つ、自分のその年その年の、そこで暮らすことに対する責任をきちんと自覚して入ってきてほしいというのがあります。そういう人が入ってきてもらわんと地域は、成り立ちませんので。定住促進住宅というのは、僕の中では、たとえば3年契か約1年契約、どこが適当かまだよくわかりませんけんど。一定期間、畑山で住むことを体験してもらうところから入って。3世帯しかないですので、永久に貸してしまうと3世帯しか増えませんので。一年住んで、ダメやったらかえらないかんし、住めると思うたら空き家だったり、宅地を探すなりして居をかまえて、次の手立てを考えていってほしいと思いますので。定住へ向けてというものも、行政とのかかわりは必要不可欠ですが、うまく入ってきてもらう、定住につながる仕組みを作っていきたいと思って考えております。
まとまりのない話になったかもしれませんが、ご縁ができ、畑山という地域を十分であったかはわかりませんけんど、紹介した形で終わらせていただきます。ご清聴ありがとうございました。
Q.温泉。冷泉を沸かすランニングコストはあると思う。何人に来てもらうと、採算ラインは。
A.畑山温泉の場合、浴槽も大きくありませんが、4~5000円のボイラー代が1日かかります。畑山の場合、条例に温泉の利用料が書かれてあるので、なかなか価格改定ができずに。大人400円です。10人で重油代がでるかってところですよね。あと