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暮らしが成り立つ土台があって、ハレの日ができる。

*2016年5月28日*

暮らしが成り立つ土台があって、ハレの日ができる。

 

限界集落に嫁いだ元新聞記者が

限界集落になりゆく

むらで育った夫に聴く15

 


 

圭子:

今、畑山で集落の集まりをしたら、

10人以上は集まるよね。

50人しかおらん集落で

参加率は高いと思うが。

でも、大半が70~80代。

その年齢の人が

地域の主な会合に集まって

意見を言うっていうのは、

田舎育ちの私にも不思議な光景やったよ。

私の田舎では、

地域の決め事は男の人で、

20-40代が出席するもんやったけん。

跡継ぎがおらんなって、

それが崩れ始めてはおったけど。

 

靖一:

守るだっけで考えると、

一定の年齢を超えた人とともに

衰退に付き合うことになるとも思うがね。

自分に時間が限られたことであれば、

変な目で見られたとしても、

新たなことを起こすことに考え方が変わっていったがね。

ただ、お金を稼ぐ仕組みがドンとあって、

儲かるじゃないかっていうことを

見せられたらすぐにシフトするかもしれんけんど。

稼げない間は、変わったことをしゆうとしか見られない。

最初は守ろうとしたもんが、

地域として生き残るために

創造するっていう考え方へシフトしていった。

とはいえ、24、25歳のころは、

自分を追い込むことではなかったので。

ちょっと時間があれば、

川で魚を釣りにいったもん。

とっても大きな責任感とか、

誰かのためにって思うたら、

押しつぶされてたやろうと思う。

それなりに空いた時間を

遊ぶということがあった。

若い頃はね。

でも、お客さんや、従業員ができてきたことで、

遊ぶ時間がなくなってきた。

趣味が仕事に変わっていったということもあるけれど。

 

圭子:

うちら二人ともに

仕事が趣味みたいなもんやもんね。

しかも、お金稼ぎが下手…。

それでも、畑山に入れあげてる(笑)

 

靖一:

バカのように

なんで畑山にこだわるのかっていうと、

川で遊びたかった、

山で遊びたかったっていうのが根底にあるがよ。

自分の自慢のふるさとがなくなっていくのは

すごく悔しいと思った。

 

圭子:

私も畑山で遊ぶ時間が欲しい!!

 

靖一:

・・・

「畑山に来な、食えんぞ!」

っていうものを作りたかった。

突発的な、

珍しくて貴重なものよりも、

産業、事業ベースで考えた

畑山ならではのものを作らんといかんと思うとったがね。

 

圭子:

「住民はおらんなったけど、

週末に帰って来て、

イベントをしたりする」

っていう地域が新聞に出たりするやんね。

良い地域やなぁって思うことがあるけど、

畑山はそれを20年くらい前に経験して、

途絶えて久しいってことでね。

 

靖一:

そうやね。

そういう経験を経ての

畑山の今ながよ。

うちに視察に来た人の中には、

出身者を呼び戻して

イベントをしたらいいっていう人も

やっぱりおるけど、

地域づくりっていうのはそういうことではないがよね。

暮らしが成りたつ土台があって、

初めてハレの日を創ることになるが。

土台も無いのにハレの日ばかりを

追い求めてもいかんのやないろうかね。

 

圭子:

イベントも大事やけどね。

でも、今の畑山で

私らにその余裕はないよ…。

時々、「イベント、イベント」って

地域づくりを掲げる人らが

言うてくるのが

本当にうっとうしい…(-_-;)

 

靖一:

とはいえ、当時の俺は、

青年団って、

「地域を守る」

「地域を盛り上げる」

手立ての一つやと思いよったね。

地域おこしはボランティアでなんとかなると思いよったもんね。

今は、ボランティアで地域おこしは

何ともならんことがわかったけど。

 

圭子:

経験したから

分かったがでね。

 

靖一:

自分の時間を犠牲にしても

やりたかったことながよ。

でも明確な理由は語れんくって、

「なんで青年団しゆうが?」って

聞かれた時に

「好きやき、しゆうが」

としか答えられんかったね。

それでも、

「地域を守る」

という気持ちがあったがやろうね。

その時の自分のやらないかん役目やと

思うちょった。

地域を繋いでいくため、

とか、

地域貢献とかね。

 

圭子:

今とは違う考え方よね。

 

靖一:

今、考える地域の自立のあり方

というんは、

まだまだ考えてなかったね。

若いもんの役割をただやる、

ただ守る、という。

まだまだ従業員も雇ってはないし、

自分の仕事よりも、

青年団活動を優先しちょったきね。

継承されてきた行事を続けることが

地域の繁栄、活性化につながるはずやと。

 

圭子:

青年団はもうのうなったけど…

 

靖一:

 

 

青年団長を

俺は、

同級生にバトンタッチしたがね。

その次が年下に、

下にっていっていったら、

5-6歳下で次に渡す人がおらんなったがね。

一番下の子はおったけんど、

その子に団長をさせたら、

周りは皆、年上になってしもうて、

やりづらいやろ。

で、30歳過ぎちょったけど、

最後が自分が引き受けることになったが。

もうそのころになったら

消化行事でしかなかったがよ。

名前だけの青年団。

まだ小中学校があって

学校行事があったき、

青年団もなんとかあったっていう感じ。

週に1回は学校で夜、

バドミントンをしたりもしよったけどね。

他の集落からも、

バドミントンしに来た人らもおったがで。

まぁ、活動というのではなくなっとったき、

学校がなくなるのと同時期に、

青年団もなくなったね。

36,7歳になっちょったかなぁ。

最後に2−3年、

自分が団長して廃団にしたが。

でも、40歳前くらいから感じるようになった

切迫感っていうのは、まだなかったね。

まだまだ畑山暮らしを楽しみよったね。

町に往来する時は、

車に釣り竿乗せとって、

誰かが釣りしよったら一緒になって、釣りしたきね。

 

圭子:

私もそんな30代が過ごしたい!

 

 

靖一:

・・・

当時はまだ

自分が地域を背負うって

認識はなかったね。

結果的に背負うことになるのは、

44,5になってから。

親世代がそれぞれの役割ができんなってきて、

同世代は誰も残っとらんき。

民生委員であり、

農業委員であり、

農協の部会長とか、

地域の役目が全部集まってくるようになったが。

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