【感謝】3月21日をもって、はたやま憩の家の営業を終わります。
【追記】2022年2月11日、土佐ジローの宿「ジローのおうち」をオープンしました。
場所は、はたやま憩の家から150mほど北の安芸市畑山甲1001-2です。
土佐ジローの炭火焼をメーンとしたフルコースを1泊2食~召し上がっていただけます。
ご予約承っています。「ジローのおうち宿泊予約サイト」
お電話は、070-1494-7689
突然ではありますが…
2021年3月21日(日曜日)のランチ営業をもちまして
はたやま夢楽が運営をする
「はたやま憩の家」は営業を終了することとなりました。
長らくのご愛顧を賜り、本当にありがとうございました。
はたやま憩の家は、安芸市の指定管理者として運営をしております。
今期の契約が2021年3月末で終わり、
次期の公募には、はたやま夢楽としては応募をしないことを決めました。
はたやま夢楽として、指定管理者として経営を続けていくことの
将来への不安や、難しさから、次期の公募には応募しないという決断に至りました。
安芸市との指定管理契約は3-5年ごとに更新をしてきました。
10万円以上の修繕費等は、安芸市が負担。
10万円以下は、はたやま夢楽が負担。
指定管理料はゼロ円。
条例に基づく、利用料の設定があり
収支報告書などの提出が義務付けられています。
お客さんが「継続できる料金にしなさい」と言ってくださる
宿泊料の安価さも、市の担当者や市議、市民の応援などを得て、
少しずつ経営できる金額に増額させていただいてきました。
お風呂は、ボイラーをわかしているので
夕食前の一度しか入れません…
それでも、ボイラーをわかす重油代は、
かなり高額で、お客さんの払ってくれる宿泊費の大部分を占めてきました。
築38年の老朽化した施設も
少しづつ手入れをしていますが
10万円以下の修繕費も通年で見れば、
多額の出費になっています。
また、数年前にはクラウドファンディングで皆さんの応援を得て
10万円以上の修繕についても、はたやま夢楽として施工させていただいていますが
修繕については、安芸市に帰属する、という念書を提出しています。
今回、ボイラーの修繕費の見積額が400万円、
その他の修繕箇所を合わせると、数千万円の見積額となりました。
改めてのクラウドファンディングも検討をしたり
自社での借金も検討をしていましたが、
あくまで、安芸市の財産ですので断念をしました。
安芸市との数日前の協議では、
修繕費が出せるかも知れないというお話もいただきました。
けれど、公募のため、はたやま夢楽が引き続き、
経営できるという保証はありませんし
次期の指定管理契約はあっても、
5年後、10年後の継続はわかりません。
指定管理期間は3-5年と定めはありますが
市政の方針によっては、短縮されることもあります。
(土佐ジロー加工場は、指定期間の短縮があり、新規建設をしました)
あと何年使われるかわからない施設に
修繕いただくことも心苦しく、
はたやま夢楽の体力では、
現施設での経営を継続することはできない、と判断しました。
次年度以降については、食堂と宿の営業については、白紙の状態ですが
10年、20年後を見据えたときに、
住民や仲間、お客さんと楽しめる畑山を創るためにも、
今、リセットする時だと思っています。
コロナ禍ではありますが
例年以上に、土佐ジローを求めて、
畑山で過ごすために、
私たちに会うために、
全国各地からお客さんが訪ねて来てくださっています。
私たちが前を向けるのは
こうした日々の積み重ねです。
今日もランチも宿泊も満席のご予約をいただき
土佐ジローを通して、笑顔になっていただけることに
感謝をしています。
前回の加工場の建設の時も、お客さんの笑顔が私たちの支えでした。
リピートしてくださる方たちとの語らいも
また、私たちの癒しでした。
こうした場を、いつかまた、きっと創りたいと思っています。
3月末までの契約で、引っ越し等も必要ですので
営業は、3月20日の宿泊、翌21日のランチ営業をもって
終了とさせていただきます。
お時間の都合がつきましたら、
ぜひ、お顔を見せていただければ幸いです。
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昭和57年に温泉施設「老人憩の家」として建設されたのが始まりでした。
食堂と宿が建て増しをされ、安芸市直営として
平成16年9月末まで運営がなされていました。
累積赤字が1億6千万円となり閉鎖が検討をされていましたが
はたやま夢楽の会長である小松靖一が
畑山で住み続けられるようにと異業種への参入を決め
親族や知人など周囲の反対もありながら、指定管理者となり
平成16年10月より、運営を担うようになりました。
宿を引き受けた翌11月。
私は、国交省と富士通総研のモニターツアーで
はたやま憩の家を訪れました。
(写真はその時の靖一さん)
宿は決して綺麗とは言えず
壁に穴が空いていたり
床がきしんでいたり
怖いような建物でした。
それでも、靖一さんは畑山での夢を語っていました。
それから毎年、訪ねて来るようになり、
靖一さんたちが手入れをしたことで建物も少しずつ綺麗になり
お客さんの土佐ジロー愛あふれるノートの書き込みに感動をし
畑山で靖一さんと夢を実現していきたい、と
平成22年、押し掛け女房として畑山にやって来た私です。
嫁に来る前は、自分の給料くらい稼ぎだせる!
と自信満々でやってきましたが
限界集落での事業経営の厳しさを目の当たりにし
また、人間関係の難しさに人間不信になったりもしました。
勝手に壁を作ってしまった私でしたが、
安芸で頑張る女性たちが、
私たちの応援団になってくれ
いつもエールを送り続けてくれてました。
時には共に議会の傍聴に行ってくれたり
時には、交渉事にも付き合ってくれたり
経営の数字を見てくれたり
学びの場を作ってくれたり
人とのご縁を繋いでくれたり…
おかげで今日まで運営できることができました。
はたやま憩の家を訪ねてくれる人たちからも
たくさんの笑顔と勇気、希望をいただいてきました。
嫁に来た10年前、
「畑山は行くところじゃない」と言われていたけれど
今は、「畑山に行くために、仕事を頑張っている」と言ってもらったり
「畑山で子育てできてうらやましい」と言ってもらったり
嬉しい変化が出てきています。
靖一さんたちにとっては、17年間、
私にとってはこの10年、
がむしゃらに、日々の大半を費やしてきた
はたやま憩の家でした。
この建物をあとにするのは
本当に寂しいし、悔しい、ですが
未来の畑山に向かって、
いま、一歩を踏み出そうと思います。