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土佐畑山の限界集落を楽しむ

メールマガジン『萬晩報』2011年4月18日
小松圭子

自然を身近に暮らしていると、人間の無力さを感じる一方で、心癒されることも多い。経済活動をするには、不便極まりないが、私が求めてきた暮らしを、やっと手に入れることができた。昨夏、新聞記者を辞め、世間では「限界集落」とくくられる高知県安芸市畑山に嫁いでからのこと。

「数百年続いた故郷、愛媛県宇和島市遊子水荷浦で暮らしたい」と萬晩報に思いをつづってから8年、畑山を紹介して6年が経過した。その後、大学を卒業し、地元の新聞記者になった。4年半で見切りをつけることに、「情けない」とする声もあったが、田舎暮らしをしたいという願いを叶えたかった。安定した収入を捨て、住み慣れた土地を離れ、同世代のいない限界集落に飛び込むことには、不安要素もたくさんあった。

 しかし、人間の生きる根幹である「食」を生み出す「職」がないがしろにされ、消費者として店頭で買う食材・食品への不信を抱きながら暮らすよりも、食を身近に、自然を感じながら暮らしたかった。なにより、同じ夢を持てるパートナーの存在が大きかった。

 私の暮らす畑山へは、市街地から車で約40分。車幅しかない道路は、強風や大雨によって、時として、土砂が崩れ、寸断される。集落内では携帯電話がまったく役に立たないし、固定電話の音声でさえ遠い。谷水や湧水の美味しい飲用水は、水道の蛇口をひねっても出てこなくなる時がある。すると、夫がポンプ室の点検、修理に繰り出す。もしくは、出で立ち勇ましく、「水をあてに」山へ分け入っていく。煌々と輝くコンビニはもちろん、スーパーなどの店舗もなく、灯りのともる民家も極めて少なく、外灯もない。息をのむような満天の星空の日もあれば、漆黒の闇の怖さを味わう日もある。

 大学時代の東京での暮らしを振り返ると、不便なことだらけだが、自然の移ろいを感じながら過ごせることは、私にとって、なによりも贅沢で、楽しいこと。

 秋には木々が日ごとに山を染めてゆき、道端には芝栗が落ちていた。雪は降らないのに、巨大で透明なツララがたくさんできた冬。谷水が凍りつき、日が当たる日中まで、水道が使えないこともよくあった。春が近づくと、葉が芽吹き、大小さまざまな花が咲くようになり、私の気分が前向きに明るくなるのを感じた。昨日は目立たなかった山中の木が、翌日、青々と輝きだしたことに胸がときめいた。

私たち人間が左右できない自然の情景は、感動を与えてくれる。そして、山での暮らしの知恵を、夫や義母たちが授けてくれる。

去年の秋のこと、シカが届いた。 義弟がさばき、刺身や焼き肉で食べた。漁村育ちなのに、魚の刺身が嫌いな私。食わず嫌いを決め込もうとしたが、夫や義弟があまりにも美味しそうに食べるので一口。臭みがない。結局、最後までパクパクと食べ続けてしまった。イノシシの煮物も時折、義母や親戚がふるまってくれる。マツタケやキノコ類も同じ。

 今は、ワサビやエビナ、イタドリ、タケノコ…。私には雑草にしか見えない草木の生い茂る中から、夫や義母たちは、瞬時に見つけだし、採取し、料理をしてくれる。底がくっきりと見える透き通った川からは、義弟たちがアユやアマゴ、ウナギ、エビを捕ってきてくれる。

 どんな年齢で、どんな格好のもので、どの季節に捕(採)れば美味しいか、みんな、食べごろや料理法を知っている。

 そんな楽しい畑山。でも、昭和の大合併前後で、人口は大きく異なっている。

 畑山には、平家の落人伝説が残り、水口神社には樹齢300年を超すスギの大樹が鎮座する。古くから続いた集落だ。50年前には、800人が暮らし、畑山村役場も、商店も、宿屋も、小中学校もあったという。昭和29年、安芸市に合併して以降、役場はなくなり、人口流出は著しい。今は40人。簡易郵便局と、我が家が市の指定管理者として運営している温泉宿があるだけ。故郷から人が消えていく様を、夫はどんな気持ちで見てきたのだろう。

 どんなに人がいなくなっても、夫は「畑山でも人が暮らせる」「田舎には田舎の存在価値がある」と、地鶏「土佐ジロー」の養鶏を主に、畑山に産業を生み出そうと頑張ってきた。そこには、ただ売れるだけでなく、自然に近く、鶏らしい飼い方で、美味しいものを作るという信念もあった。そして、都市部で認められた「土佐ジロー」を求め、関東や関西、北海道からも年間5000~6000人の人たちが、この限界集落に足を運んでくれるようになった。

 奇跡的なことだと思うけれど、今の時代に「欠けている」ものが、畑山には「ある」から都市部の人たちも訪れるのだと思う。畑山のような田舎の存在意義を、存在価値を、理解してくれる人が、協力者となり、移住者となって、今は限界集落の畑山を、新しい「はたやま」に生まれ変わらせる時代が来ることを願っている。

 経済至上主義、都会志向の中で見捨てられてきた畑山だが、まだまだ現役の田畑があり、かつては段々畑として切り拓かれ、今はヒノキやスギの植林地となった山が広がっている。労働力と消費地を結ぶ知恵があれば、限界集落にも可能性は無限大に広がっている。嫁いで間もない私の存在は小さいけれど、夫とともに、努力していきたい。

 多くの賛同者が生まれ、一緒に汗を流してくれる仲間ができる日は、そう遠くない未来にあると信じている。


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