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限界集落「畑山」に生きる

2011年3月2日 愛媛県内子町大瀬 講演
小松靖一

ご紹介いただきました小松靖一です。高知の山奥で引きこもり農業をしています。

人口約40人の畑山では、地域の中の役割ができる人が減り、時間、体力が限られ、主だった役割は自分のところに集中しています。そういう意味では「限界集落」なのかと日々痛感しています。ただ、気持ちの中では、畑山には可能性ばっかりだと思っています。「今から始める」「地域を新しく作っていく」。ゼロを直視すれば、上しかないし、それ以上無くなるものはありません。そう思って、頑張っております。

僕の会社の名前は「はたやま夢楽(むら)」といいます。地域が自立をしていく中で、昔の畑山村のような意識につなげたいという思いから付けました。また、夢を楽しむような、楽しみの延長に夢をつかむようなイメージでもあります。

畑山地域は、標高180m。海沿いから車で約40分かかり、途中には、ガードレールのないところも相当あります。延長14㎞しかない3ケタの行き止まり県道なので、県の予算がつく見込みが中々立ちません。ですが、最近は、畑山温泉に来てくれるお客さんも増え、観光道路の位置づけで、少しずつ待避所など道路の改修もされております。畑山地域は盆地になっていて、平野部には水田やユズ畑が約7haあります。昔は、周辺に段々畑もありましたが、今はスギとヒノキに変わっています。


【村を「守ろう」としていた青年時代】

僕が子どものころから、畑山から人が出ていく勢いはすごかったがです。今は40人ですが、子どものころには800人おりました。「すごい現象がおきゆうな」ということを、まざまざと見て育ちました。「なんで出ていくのか」。なんとなく違和感を抱いていました。

学校を卒業して、大工をしながら、畑山青年団で「地域を守る」ために、県道の空き缶拾いや神社の文化活動をしました。年寄りに代わって、自分がすることで「守ろう」としていました。21歳の時、青年団長を引き受けました。当時から団員数は相当少なかったですが、それでも、同級生や後輩たち何人かに団長職を引き継ぎました。ですが、10年くらい経つと、とうとう団長をやる人がおらんなってしもうて、また自分がやることになってしまいました。そして、僕の代で青年団をなくしてしまいました。一生懸命、「地域を守る」意識はありましたが、結果的には10数年頑張っても残せんかったがです。農協青壮年部畑山支部も僕が部長の時になくなってしまいました。

若い人におってもらえる環境をよぉ作れんかったということです。「守る」という意識では守れない。守るために「攻める」意識の重要性を痛感しました。


【土佐ジローとの出会い】

畑山で農業をしようと、25歳のころから地域でできる仕事として、農業を始めました。しかし、専業になりきれず、半農半大工の時期がありました。大工で身を立てるには、人がおるところに出ないかんがです。畑山をどうにかすることはできません。

もともと林業家系で農業は飯米を作る程度。本格的に農業をしたことがなかったので、先輩にいろんなノウハウを教えてもらいながら、当時、安芸市の奨励品目だった「シシトウ」を作り始めました。でも、夏場のシシトウは安く、複合農業をやらないかんと思い、柚子や銀杏も植えました。

昭和63年、新聞記事で高知県が採卵用として開発した土佐ジローと出会いました。畑山地区でも、数世帯で畑山土佐ジロー会を立ち上げて飼育を始め、うちでも採卵用として100羽くらいから飼い始めました。植えたばかりの銀杏を取り囲むように鶏小屋を作ったので、春に芽吹いた銀杏を土佐ジローについばまれ、その年の内に枯れてしもうたがです。銀杏構想は、そこで無くなってしまいました。

土佐ジローの卵は、1個45円。先進地の本山町、嶺北地域に「1個45円で売らんと採算とれん」「値崩れを起こす前例を作ったらいかん」と言われておりましたし、売れたら本当に魅力的な商品ながです。毎日60個くらいの卵ができます。昼間のシシトウの仕事が終わってから、夜なべに卵を拭いて、翌日、安芸の町へ出荷するシシトウと一緒に持って行きました。僕は職人であり、百姓だったので、物を紹介することが苦手やったがです。しかも、「ええもん作ったら、売れる」という気持ちなので、営業ができんまんま。知名度もなく売れんもんで、友人や知人に1パック、2パックと売っていました。自分も顔が広いと思うとりましたが、3、4日すると行くところがなくなります。「しょうがないな。明日にまわそう」と、持って行った6パックの内、2パックを翌日に回す。すると翌日は新しく卵ができるので、売らないかんのが増えていく。1週間もすると、持っていくところもなくなり、最初に買うてくれた人にタダで配ったり、試食をしてもろうたり、後輩たちに押し売りをしたり。友達の肉屋が見かねて、スーパーとかの営業先を教えてくれました。そこで営業に行くことの意味や、手応えを感じて、少しずつ営業を始めるようになりました。


【肉用としての土佐ジロー】

こうして始めた土佐ジローの飼育ですが、産卵率が悪いがです。自然の中で気持ちよく生んでくれるかと思うたら、暑いゆうて生まんかったり、冷いゆうて生んでくれんかったり。しかも、ものすごく変動します。100羽で毎日60個産んでくれるのは、産卵率の良いとき。3~6月の一般的に物の売れん時に、無茶苦茶産みます。どんなに景気が悪くても、お金を持った人が、がま口の蓋を開けて待っているお中元、お歳暮の時は数がなくなる。なので、出荷量の多い時にあわせて営業をしてしまうと、「ごめんなさい」をせんといかんなる。

販売調整をしにくいことから、ある意味、卵には見切りをつけざるをえんかったがです。ただ、「土佐ジローで地域興しを」の雰囲気ができてきていた。いろんな人も応援してくれていたので、このまま諦めるよりも、他の手立てはないのかと考えました。

高知県は「卵肉共用」とうたっていましたが、一定期間卵を生ませた後を肉用にする考えでした。なので、オスは「こいつは卵を生まんぞ」と、オスと分かった時点で廃棄されていました。生まれる55%はオスで、有精卵にするために5%は残すとしても、半分は捨てていた。卵は、鶏の都合や天候の影響で生んでくれん。オスを肉にしたら、よっぽどの事故がない限り、お金の計算がしやすいんじゃないかと思いました。それに、比内地鶏や名古屋コーチンに代表されるように、地鶏といえば肉。熟鶏の固い土佐ジローではなく、若鳥の柔らかい肉がオスならできるんやないかと考えました。加えて、食鳥処理に関する法律が平成4年にでき、鶏肉の加工がどこでもできる商品ではなくなったこともありました。

ところが、こちらも素人なもんやき、何もわからん。高知県東部では、軍鶏の生産が盛んです。飼ってる人に意見を聞いてみると、「10か月、1年飼わないかん」。その通りにすると、歯が折れるばぁ固い肉になったがです。次は期間を短縮して、鶏の遊び場面積も工夫してやってみました。小屋を建てて一通り育ってみて、一定の成果が裏付けられるのには、少なくとも2年3年はかかります。「これじゃ面白ない」と思うたら、2、3年ごとに壊して建て替える。まだ建てたばかりで上等の鶏舎を突然、壊し始める。おかあに「困った。この子はどうするつもりやろ」と言われながら。一番は、土佐ジローの運動量やったがですけんど、作業効率とかも考えてのことでした。3つ、4つの効果を狙って作った鶏小屋で、5つ、6つの効果が見えるような形で出たのが平成10年に建てた時。柔らかい適度な歯応えと、うまみ、肉の歩留まり、エサ効率、これ以上、人間の都合を押し付けちゃいかんなということまで含めて、納得できました。


【土を食べて体調管理】

ある時期、「これなら儲かるやろな」というエサのやり方をしました。でも、エサを旨そうに食べよったやつが、150日の出荷時に、さばくと、エサ袋の中には、土がいっぱいありました。「こないだまで俺のエサを旨そうに食べよったのに、なんで土を食べないかんのか」。それと同時期、別の村で飼ってる人の土佐ジローをうちでさばきました。見た目にはそんなに油が付いてないのに、3羽くらいさばくと、まな板も包丁も手も洗剤で洗い直さんと、危ない状況になりました。生産者に聞いてみると、「近所から苦情が出て、土の上で放し飼いができんかった」。圧倒的に違うのはそこ。人間の都合を押し付けたら、鶏本来の美味しい土佐ジローから外れていく。僕が儲けるため、増体率を上げるためのエサをやり続けていちょったら、土の上で飼っていなかったら、今、スーパーにあるような普通の鶏に行きついていたと思います

肉用の生産は、当初、奈半利町と北川村でもやっていました。2年くらいで北川村が、そのあとすぐに奈半利町がやめました。今、肉用として生産から処理販売を一貫してやっているのは、うちだけになっています

1998年にテレビの「どっちの料理ショー」で紹介してもらいました。土佐ジローは親子丼で、オムライスと対決しました。番組で土佐ジローを食べてもらいました。その評判はすごかった。うちの生産量は、もともと大したもんやないがですが、放送後、在庫がすべてなくなった。冷凍で持っとった分や、年末の燻製用の中抜き肉も肉屋が「自分でさばく」言うて買って行ったりして。漫画「美味しんぼ」でも、海原雄山が勝つための切り札的商材として紹介してもらいました。まだ儲かるもんにはなっておりませんけんど、評価をしてもろうたのは、すごいことやなと思うております。


【飼育】

うちでは、土佐ジローの雛を2週間に1回、600羽ずつ入れています。孵化した日に、雄雌鑑別をしてもらった雄を、その日の内に持って帰ります。ガスブルーダーで加温しながら、300羽ずつの集団で育てます。雛から40日くらいまでは加温しながら育て、その後は、止まり木を設置した肥育鶏舎に移して、150日まで育てます。

1ヶ月に1200羽の雛を入れて、900~1000羽の製品化ですので、あまり効率はよくないです。卵は1ヶ月7000個程度、出荷しています。

土佐ジローは、鶏業界の中では、非常識なことばかり。普通は、大きな鶏を作ろうとしますが、土佐ジローは土佐地鶏という小さい鶏を父親としています。また、放し飼いをしていますが、鶏1羽ずつが均等に食べることにならないので、エサ効率も悪いがです。でも、土佐ジローの美味しさにこだわって、ほかの鶏とは根本的に違うということを売りにしています。ただ、一定数がないと採算が取れませんので、月産900羽を1800~2000羽にしようと頑張っています。


【赤字で閉鎖対象だった温泉宿を引き受ける】

地域の中でなにができるか。土佐ジローを頑張ることで、畑山が残っていく。自分が畑山におりたいだけやったら、自給自足でいい。でも、そうじゃない。僕は畑山はええところやと思っています。そして、畑山という地域をきちんと主張しながら、次の世代に伝えたいがです。

畑山には、市営の温泉施設「畑山温泉憩の家」がありました。僕が青年団長やった時に、オープニングセレモニーをしたり、毎年開催していた「温泉祭り」というイベントにも関わってきた施設です。20数年、市営として、地域の婦人会にまるまる委託して、山菜料理だけを提供しながら運営していました。ですが、毎年600万円くらいの赤字が続き、市議会で「累積したら、とんでもないことになっちゅうぞ」と怒られたそうです。そこで、7年前に閉鎖対象になり、地域住民にも「閉鎖やむなし」という説明がありました。僕としては、地域を何とかしたいと思って土佐ジローをやってきたところで、地元唯一の交流施設が無くなるのは困ります。ほかに手立ては無いのか市役所に相談し、指定管理者制度の話が出ました。僕にとっては行政制度は知らないことばかり。「この施設を残すには指定管理しかない」と思って、会社を立ち上げて、引き受けました。

引き受けた当日、それまでにも温泉施設に入ったことはありましたが、あまりにボロボロの状態にびっくりしました。壊れていた勝手口のドアは、「これくらいは自分でせんといかんやろ」と思うて自分で直しました。ですが、1ヶ月すると、男湯の浴槽の床が抜け、もう1ヶ月したらボイラーから風呂場につながってる鉄パイプが腐って、床をはがんといかん状態になりました。会社にはしたものの、僕らは余裕があってやりよるもんやないがです。市役所と押し問答をしながら、直してもらいました

半年ほどたったころ、県の職員に「小松さん、指定管理というのは、本当言うたら真っ新に近いくらい、きちんとリフォームしたものを民間に出すのが本来のありかたながで」と言われて、びっくり。

畑山温泉は、もともと福祉施設として、国の補助金を入れていました。市直営の時は、福祉行政の中であちこち担当が変わっていたようです。最後の担当課では、「3年小松靖一がやってダメやったら、閉鎖しても行政のせいやない」という思惑があったんやろうと思うてます。今の若い職員らに「はめたねや」と言って嫌がられていますが、そのくらいの施設やったがです。

畑山温泉の入浴料は大人400円です。浴槽は大きくありませんが、冷泉ですので、1日4~5000円のボイラー代がかかります。安芸市の条例に利用料が記載されているので、なかなか価格改定ができません。1日10人入浴して、やっと重油代になります。施設の管理や当日の準備などの人件費を考えると、30人来ても採算は取れません。仮に100人来たら、湯が濁ります。かけ流しですので、採算が取れるように入浴客を呼ぼうとすると無理があります。ここのところお客さんは相当数増えていますが、温泉じゃ採算は取れません。ですので、総合的な売り上げとして、土佐ジローを食べて、温泉があるよ、という考え方でいます。温泉はおまけのような認識です。


【土佐ジローを看板メニューに】

僕が引き受けたとき、もちろん節約という努力もしましたが、思いのほか、新聞やテレビなどが応援してくれました。年間5000~7000人が来てくれうようになり、数年でなんとか数万円の黒字が出せました。不景気な今の時代背景とか、畑山という立地とかを考えたら、奇跡的なことやと思います。「土佐ジロー、あんたはすごい」と思うちょります。

この奇跡の一大要因は、土佐ジローという商品商材ながです。引き受けた当初は、親子丼を看板メニューにしていました。当時の親子丼も「これは、うまい」と胸を張って、いろんな人に出しよったがです。でも、高知市内の料理人に「小松さん、もう一工夫」と言われました。その後、料理学校の校長先生らが集まって、土佐ジローのガラでだしをとって、親子丼を作ってくれました。そのとき、頼まれて肉とガラを持って行ったがですけんど、卵を忘れて叱られました。「卵が無かったら親子丼にできんやん」。スーパーで、買ってきた普通の卵で親子丼にしてもらいました。でも、カツオだしで作ったうちの卵と肉の親子丼よりも、その日の親子丼が美味しかったがです。だしの意味を教えてもらいました。そんな人たちの応援を得ながら、少しずつスキルアップもし、今はほぼ固定化した親子丼になりました。

今は、内臓類の刺身もうちの看板メニューになりました。僕らも土佐ジローを飼い始めたころは、鶏の内臓を刺身で食べられるとは知らず、食おうとは思わんかったがです。それが、あるイベントで、焼こうと思って内臓を持って行っていました。そこへ、生レバーを大好きな友達がやって来て。「靖一これいつやったがな」「今朝さばいて持ってきた」「ほなら大丈夫やね」。そういうやり取りがあって、その場で醤油を掛けてレバーをペロッと食べたがです。僕はしばらく様子を見ようと思ってました。何時間とかね。あっ、全然大丈夫そうや、ってことで、自分でも食べてみました。甘くておいしい。でも、その時点ではまだ商品になるとは思っていませんでした。

トサカの注文を受けた時にも、「トサカらどうするがやろね」と話したくらい。食べるもんやないやろかと思いながらも、近所のおんちゃんは「きれいやき、皿鉢の縁に飾るがやないか」と言うたけんど、なかなかグロテスクやしな…と想像するばぁでした。後々には、中国の人がトサカを買いに来てくれたりして、食材であることを知りました。中華以外にもイタリア料理やフランス料理にもあるそうです。雌でもトサカの立派なのはおるけんど、2、3年育てた鶏でトサカが固いので、食材としてはスープなどの煮込みに使います。化粧品にもなっています。

ある時、新鮮な内臓類を知り合いの居酒屋に持って行って食べてもらった。「うまい、うまい」ってことになりました。でも、商品にするには細菌検査をせんと胸を張って出せんやないですか。「今日の客は大丈夫やったね」というような商売はできんですよね。

本当に健康な鶏の内臓周辺は、無菌状態ながです。生肉と内臓の一般細菌の数を計ったら、内臓の方が圧倒的に少ない。無菌状態から流水で流しながら、腸の中との接点を限りなくゼロに近い状態で切り離していきます。最後に皿に盛る時に、まな板の上に乗るだけなので、細菌の数はものすごく少ない状態でお客さんに出せます。肉は、まな板の上でひっくり返しながら、さばくので、どこの処理場も一般細菌を減らそうと努力はしていますが、少しは雑菌が付きます。内臓類の刺身を僕は、3日間、お客さんに「どうぞ」って出します。売れ残ったら4日目、5日目、6日目と自分で食べます。そのくらいの根拠を持っていないと、鮮度だけやったら「今日の客大丈夫やったな」と心配しながらお客さんに出さないかんやろうと思います。食べる気にならんかったはずの刺身を、今は喜んで一生懸命お客さんに出しています。

トサカも刺身で出しています。それは、150日という飼育日齢がポイントになります。150日を過ぎて刺身で食べようとすると、とても固い。スーパーに出ている肉の日齢は約60日。ピヨピヨ言いながら、肉になっているので、トサカも精巣も小さいがです。柔らかくて刺身で食べられるトサカは、鶏業界では土佐ジローくらいやと思います。鶏の系統、掛け合わせ、総合的なかかわりがあって、安全なお肉がつくれています。


【廃校を活用】

畑山小中学校の校舎を利用した学校プロジェクトをしました。マスコミや、ごめんなはり線を支援する会などのメンバーが、安芸東部地域活性化をするための勉強会をしていました。僕も行くようになり、「畑山へ集中的に関わってみよう」ということになりました。侃侃諤諤、協議をする中で、使われていない学校施設の1階部分を使う案が出ました。「古本を寄付してもらうよう声を掛けてみようか」。集めるお金がないので、提供してくれる人の送料持ちで投げかけました。新聞記事でもテレビの広報コーナーでもしゃべりました。「本を送ってください。詳しいことはこちらまで」。詳しいことは、送料持ちということです。集まらんやろうと思うたら、意外と集まりました。本に思い入れがある人は、ブックなんとかに売るよりも、所在のきちんとしたところに預かってもろうて有効活用してもらった方がええみたいでした。結果、2~3万冊が集まりました。

図書館の内装では、レイアウトや資材の仕入れとか、いろんな部分で高知工科大学の教授や学生、高知工業高校建築科の生徒さんたちが関わってくれました。童話の本を並べた部屋では、本の表紙が見えるように並べています。小さい家具やテーブルも作ってくれました。現在の運営は、地元有志でつくる「はたやま夢楽実行委員会」で行っていますが、現実には人件費は払えません。ボケ防止に大先輩のおばあちゃんに留守番をしてもらうような形の運営ではありますが、土日に古本図書館として開館しています。

学校の施設内には、教員住宅もありました。名目がいろいろと変わって、最後は福祉住宅という名前でしたが、なかなか使い道のないまんま、ほったらかしになっていました。個人的には、今やったら、屋根を直したらどうにかなるな、と思いつつ、古びて朽ちていく様を毎日見ながら僕はつらい思いをしておりました。そんな折、昨年、国の直轄で、建設業界に地域貢献をしなさいという目的の補助事業がありました。安芸の数社が、「畑山で何かしたい」と申し出てくれました。そこで、イベントや合宿誘致で使えるような目的で教員住宅を改修してもらいました。
個人的には、定住促進住宅のような目的で使っていきたいと思うております。

ただ、あまりに何もかも準備をして、畑山で暮らす人を募集してしまうと、ある意味無責任な人が入ってしまいます。高知のある町で、新しく入ってきた人が2年目に覚せい剤で捕まりました。別の村に入ってきた人は、大麻栽培で捕まった。悪い人ばかりとは限らんですが、入ってくる人には、せめて自分の3年分の食べる糧とかを持つなり、そこで暮らすことに対する責任をきちんと自覚するなりして、入ってきて欲しいという思いがあります。たとえば定住促進住宅として活用するなら、1年や3年契約など一定期間、畑山で住むことを体験してもらう。3世帯分しか住宅がありませんので、永久に貸してしまうと3世帯しか増えません。1年住んでダメやったら帰らないかんし、住めると思うたら空き家や宅地を探すなりして居を構えて次の手立てを考えていって欲しい。その過程には、行政との関わりは必要不可欠ですが、うまく入ってきてもらって定住につながる仕組みを作りたいと考えております。


【地域の総合魅力】

畑山は遠い。道の事情が悪いです。でも、川の規模は、ちょうどええ。高知にはぼっちりという言葉がありますけど。僕らにとって、「ぼっちり」の川があります。親子で畑山に来るとする。お父さんと子どもは川で遊んで、お母さんは図書館で本を読む。地域には山があって、川があって、食べるものがあって。県の史跡にもなっている出城の跡もあります。地域の総合魅力の底上げになれたらいいなと思って、図書館構想などをやってきました。大学の体育会系の部活動誘致は難しいけんど、10人20人のサークルや小さいクラブなら、学校を使えるという情報の出し方はできるんじゃないかと思っています。来た人たちが自分らぁで想像しながら、畑山で楽しめる遊びを創造する、産業を創造する。創意工夫の中で、新しいものができていく。オンリーワンになれるように、土佐ジローを育ててきました。今度は、畑山全体で楽しむ環境を創りたいと思っています。
畑山の人口約40人の内、動けるのは10数人。悲しい話ですけんど、一昨年の1年間で4人亡くなりました。ただ、去年はありがたいことに、奥さんも含めて、僕より年下の住民が4人増えました。これから畑山で暮らそうとする人の生活基盤や受け皿を作り、本当に少ないかもしれませんが、人口の右肩上がりのグラフを作りたいと思っています。


【畑山にこだわる理由】

子どものころ、畑山の川で遊び、山で遊びました。おやじに殴られて、家追い出されるくらい、遅くなるまで川で遊びました。山では、山の上から川までの300mくらいを、サルのように雑木の木の枝から木の枝をつたって下りたこともありました。今のようなスギではそうもいかんけんど、雑木だったからできたんやと思います。大好きな先輩が、小学校高学年になって地域の祭りで、神輿をかつぐようになりました。「大人の仲間入りをして、ええなぁ」と思うた。「ぼくもそうなりたい」。こんなに楽しい畑山が、何年後かになくなっていくのが納得いかんかったがです。おりたいと思うたがです。でも、おりたいだけやったら自給自足でええ。そうやなく、自分ところの地域を主張しながら、おりたいというのが自分のこだわりです。次の人に畑山で楽しめる状況を伝えたい。理屈ぬきで、なにくそとか、こんちくしょうをやりたいと思うたのが、一番の理由やと思います。

地域というのは、若い人、年寄り、それぞれの役割が相互に反映しながら成り立つもんやと思います。畑山には結構な面積があるので、うまく活用しながら、土佐ジローを産業と情報発信の軸にして、六次産業を始めたい。新しい田舎型産業を作りたい。働き盛りの世代がせめて20人くらいは働けて、その先輩と次の世代も40~50人が暮らせる地域は作れると思うがです。そんな夢を描きながら、小さい「はたやま夢楽」として地域の自立をしていけたらいいなぁと思うております。まとまりのない話になりましたけど、ご縁ができ、畑山という地域を紹介させていただきました。ご清聴ありがとうございました。


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