高知県の地鶏「土佐ジロー」専門店

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畑山の自然の中で子ども時代を満喫すれば、“靖一”のようになるのか―限界集落に嫁いだ元新聞記者が、限界集落になりゆくむらで育った夫に聴く④―

畑山を好きになったのは

子どものころの暮らしにある、と

靖一さんは言う。

 

私も、そうだった。

 

 

圭子:

畑山の子どもの遊びって何があった?

私は海で釣りをしたり

道路で野球をしたり、

基地を作って遊んだりしたよ。

 

靖一:

野球もしたで。

自分らでバットを作ってね。

紙切れを丸めてボールにして。

 

圭子:

私は既製品のバットやったよ。

昭和の漫画に出てきそうなシーンだね。

 

靖一:

貧乏っちゃ貧乏やけど。

身近にバットとかボールの

本物はなかったね。

 

圭子:

他には?

 

靖一:

竹で刀を作ったり

竹馬作ったりね。

山でブランコも作ったね。

おもちゃの類は

自分らで作ったのがほとんどやね。

 

圭子:

尚太郎らにも、作ってあげてや。

 

靖一:

学校が家から3km、一里よね。

その道中の山でも

よぉ遊んだで。

“コボテ”っていう罠を仕掛けて

秋から冬にかけて

ツグミとか山小鳥を捕ってね。

食べた。

 

圭子:

ワイルドに聞こえるけど

畑山暮らし6年もしとったら

そんな時代もあったんやろうな、って実感できるわ~。

川遊びは?

 

靖一:

泳ぎに行くっていうんじゃなくて

漁をするのがメーンやったね。

もちろん、泳ぎもするけど。

漁をするのが遊びやったね。

 

圭子:

それは分かる。

私も海で泳ぐっちゃ泳ぐけど

潜って貝採ったり、

魚捕ったりするんが楽しかったもん。

 

靖一:

特別なことじゃなく

夏は魚を捕って食べるんが

普通やろう、って思うちょったね。

 

圭子:

海育ちやと

川の遊び方がわからんのよね。

尚太郎らには、川での

漁を覚えてもらいたいなぁ。

 

IMG_2793

 

靖一:

泳ぎが達者でないころ

まず目につくのはゴリやね。

その次の段階が

ハヤ、ウグイかな。

小学校3、4年ごろで捕れるようになる。

ウナギもね。

 

 

圭子:

今でも大きなのもおるけど

本当に少ないみたいやね。

 

靖一:

昔はウナギもいっぱいおったんやけどね。

小指から親指サイズの。

小学5年にもなると

アユが捕れるようになるが。

ポン掛けでアユ漁ができるようになるのが

中学生くらいかなぁ。

 

圭子:

どうやって食べたが?

 

靖一:

おじいに持って行って

焼いてもらったり、

自分で焼いて食べたが。

その日に自分らで食べる分だけ

捕りよったね。

 

圭子:

私は1時間でアジを100匹くらい釣って

この日のうちにサバキきれんなるき

家に帰りよったかなぁ。

大学生のころやけど。

大量に釣って帰っても

親は手伝ってくれるわけでもなし。

せっせとさばいて

冷凍庫に入れよった。

 

靖一:

アユが食べたいけん捕るってことではなかったね。

アユを捕りたいので、

捕ったから食べる。

捕りたいっていうのが先よね。

 

圭子:

そうよね。

私もよく人にあげよった。

町の友だちにあげたら

相当喜んでくれたし。

90歳を超えた日振島のじぃちゃんが

今でも釣りをするけど

「あげたい」って気持ちもあるやろうけど

「釣りたい」って気持ちの方がはるかに

大きいように思うもん(笑)

じぃちゃんのは、

キレイに天日干しにしてくれとるけん

私は欲しいけどね。

小学生のころは一日、海におったけど

靖ちゃんも、そうやろ。

 

靖一:

そうやね。

夏休みは一日川におったね。

おばぁが作っちょったサツマイモを掘って

持って行って、生でかじったなぁ。

焼くときもあったろうけんどね。

 

圭子:

自然薯も掘りに行きよったんやろ。

 

靖一:

秋が来たら、自然薯掘りやったね。

山へ。大変やったけど、うまかったね。

大人にも喜んでもらえたしね。

戦後の食料難とまでは言わんまでも

遊びの延長で食料調達してきたわいね。

 

圭子:

子どものころから畑山におらんと

大人になって突然やって来ても

畑山の環境を遊びきるのは難しいかもね。

 

靖一:

逆に、俺らが町へ行っても

町で遊ぶようなことってやったこともないし

わからん。

東京行っても、母ちゃんの後ろについて行くだけや。

 

圭子:

そうやね(笑)

遊びといえば、

学校の先生も遊びに使うたような話を

よぉ聴くけんど(笑)

 

靖一:

小学校で図画工作の時間らぁ言うたら

3−4時間目とかで連なっちゅうろ。

「先生、外へ絵を描きに行く」って出掛けるがね。

外へ出たら俺らのもんやん。

町の先生をちょろまかすのは容易やろ。

学校から西と東へ分散して、山へ駆け込んだら、

町の先生が追っかけてきようがない。

どこにおるかもわからんなる。  

で、俺らは友だちの家へ行って、

メジロのおとりを取って来たりね。

今は飼うちゃいかん鳥になったけど、

当時の畑山の子どもらの3割は飼いよったと思う。

鳴き声が良いけん。

カゴに入ったメジロを持ってきて、

鳴かすがよ。鳴かんかったら、

自分らの指と口で

「ちぃ」ってやって鳴かしてね。

鳴きあいの中で

山の中におるメジロが寄って来て、

枝にまいた鳥もちで捕まえるがね。

 

圭子:

メジロも食べるが?

 

靖一:

いや、観賞用というか。

食べるのはツグミとかね。

それは、エサを構えて、

紐を使って枝を手前にまげて弓のようにして。

鳥が近づいてきたら、

バチンと鳥の首がはさまるような構造の罠を作ったが。

罠は1枚2枚と数えたけど、

多い人は15枚もかけとったね。

俺らは何カ所か仕掛けといて、

学校帰りに捕まえた。

罠を仕掛けとるもんやけん、

帰りながらの楽しみ。  

 

圭子:

どうやって食べるが?

 

靖一:

昔の冬は寒かったきね。

数日置いといて5羽くらいたまったら、

親父と一緒に

畑の隅っこで火を燃やしながら、

毛をむしったね。

でも、産毛が残るがね。

それを炎でガーと焼いて、

丸裸にしたもんを

バシバシっと割って

砂糖醤油でつけ焼きにして食べたね。

包丁らをそんなに使うた記憶はないけんど。

美味しかったよ。

1シーズンに、3-4回かなぁ。

 

圭子:

ワイルドやねぇ。

ハトは畑の網にからまとって

手当をしようと思って

家に持って帰ったことはあったけど。。。

私らがタコとるような感覚なんかなぁ。

 

(つづく)

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