高知県の地鶏「土佐ジロー」専門店

はたやま夢楽
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構想日本

昨日の「構想日本」http://www.kosonippon.org/

のメルマガで

私の原稿を配信していただきましたので

転載します。

「構想日本」は

事業仕分けなどで、ご存知の方も多いと思います。

私は大学時代、ある御大の紹介で知り、

シンポジウムなどで勉強させてもらっていました。

中でも、農民作家の山下惣一さんたちのシンポは

とても印象的で、今でも覚えています。

社会人になってからは、

内子の岡田文淑さん、石見銀山の松場登美さん、

妻籠の小林さんたちが登壇されたシンポを聴きに

東京へ出掛けたこともありました。

今回、お声掛けいただき

原稿を書かせていただきました。

以下、構想日本

「J.I.メールニュースNo.498 2011.04.14発行」

より抜粋して、転載します。

「限界集落」に嫁いで
          (有)はたやま夢楽(むら) 小松圭子

昨夏、25歳年上の小松靖一さんとの結婚を機に、

夫が生まれ育ち、暮らしてきた

高知県安芸市畑山で住むようになった。

畑山地区は市街地から約20km。

狭い道路幅は

マイクロバスの片側通行が精いっぱいで、
右手はノミで削り取られたままのような法面が迫り、

左手は断崖の下に安芸川が流れている。

道中に人家はまったくなく、

携帯電話もつながらない。

市街地から40分ほど車で走ると、

突然に空間が開け、

田畑が広がる。

桃源郷のようなところだ。

40年前は800人が暮らしていた畑山に、

現在は約40人が住む。

家があっても空き家や
廃屋が多い。

学校は平成8年に廃校となり、

ほとんどの住民は70歳以上だ。

地区最年少である27歳の私に

一番年が近い住民は47歳の義弟で、

祭事などは廃れ、

公民館主事や民生委員、道路の草刈りなど、

あらゆる地域の世話役が夫に集中する。

畑山はいわゆる「限界集落」だ。

同級生や後輩たちが故郷を去るなか、

夫は畑山での産業化をめざし、

高知県の地鶏「土佐ジロー」(肉・卵)の

生産加工販売を手がけてきた。

自然の中、土の上で育てている。

ブロイラーなどは濃厚飼料を与えると、

飼育日数が約60日で体重3kgになるが、
土佐ジローは150日間で1.5kgにしかならない。

味は絶品だ。

肉には臭みがなく、噛めば噛むほど深い味わいが口の中に広がる。

トサカやササミ、白子などを刺身で食べられるのも私の自慢の一つだ。

6年前には、安芸市が廃止しようとしていた

赤字続きの温泉宿「畑山温泉憩の家」を
夫が引き受け、

「土佐ジロー」料理を大看板に運営を始めた。

地鶏の料理を求め、年間5000~7000人が

来てくれるようになっている。

この2つの事業で、家族と従業員の10人が働いている。

従業員で畑山の住民は1人しかいない。

限界集落の仕事を支える人材は明らかに不足している。

すでに故郷を去った人を呼び戻すことは非常に難しい。

だが、農村で暮らしたいと思う人は少なからずいるはずだ。

農業を手伝ってくれる人、

散策句会などのイベントで自然を楽しんでくれる人、

定住してくれる人…。

新たな人を迎えられるよう、

土佐ジローを産業と情報発信の軸にして、

これからもがんばっていきたい。

そして、平家落人の伝説が残る畑山を、

新しい畑山として次世代に渡せるようにしたい。

畑山の自然のなかで暮らしていると、

人間の無力さを痛感する毎日だ。

私たちにできることは、

ただ備えること、身を守ることと、

自然の驚異を知り、自然と向き合って暮らすこと。

東日本大震災のようすをテレビや新聞で見ると、

現実のものとは思えない光景ばかりだ。
私たちに何ができるのか。

畑山では、旧教員住宅を交流拠点施設に改修している。

被災者の方の受け入れを含め考えていきたい。

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