高知県の地鶏「土佐ジロー」専門店

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大瀬講演2


長くて入らなかったので…

土佐ジローの産卵率には、ものすごく変動があります。36月の一般的に物の売れんときに、無茶苦茶生みます。市場でどんなに景気が悪くても、お金を持った人が、がま口のふたあけてまってるお中元、お歳暮のときには、数がなくなる。欲しい時には物が無く、いっぱいある時は親戚に配らんといけん状態になります。なので、多い時に合わせて営業をしてしまうと、「ごめんなさい」をしないといけない。

販売調整をしにくいことなどから、ある意味、卵には見切りをつけざるをえんかったがです。ただ、土佐ジローで、地域興しという雰囲気がなんとなくできてきていた。このまま土佐ジローを諦めてしまうよりも、ほかの手立てはないんやろうか、と。いろんな人が応援もしてくれていたので。もともと採卵用として開発された鶏なので、オスとわかった途端に、「こいつは卵を産まんぞ」と、全部処分をしていました。有精卵なので、5%くらいのオスは残したけんど。オスと分かった途端に、その日のうちに廃棄処分。55%くらいはオスなので、5%残したとしても、半分は捨てていた。卵はちやほや育てても、鶏の都合や天候とかで生んでくれん。肉にしたら、よっぽどの事故などなかったら、オスは肉として活用できるやろ、と。1つの鶏舎あたりのローテーションにも、土地1坪あたり、1鶏舎あたりのお金の計算がしやすいんじゃないか、と。あとは、全国の地鶏をイメージしたときにお肉が主流ながです。日内地鶏とか、名古屋コーチンに代表されるように。地鶏というと肉やろ、と。

開発した当時から土佐ジローは、卵肉両用ととうたっていましたが、肉は、卵を一定期間生ませたあとに肉用として売るってのが県の考え方だった。でも、それやと肉が固い。鶏も小さいし、筋肉密度も高い。だから、オスで、若鳥としての、やわらかい土佐ジローがつくれるんじゃないか、と考えました。あと、食鳥処理に関する法律が平成4年にでき、鶏がどこでも商売ができんいう商品になった時代というのもありました。

土佐ジローの肉を奈半利町と北川村の農家と3つで始めました。ですが、2年くらいで北川村がやめ、今は、畑山だけ。畑山もうちの父親世代と一緒に始めたけど、おんちゃんらが辞めていき、今はうちだけになっている。肉用としての生産様式は、県内でもうちだけ。





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高知県東部では、軍鶏の生産が盛んなので、その人らの意見を聞いてみると、「10か月、1年飼わないかん」と言われて、飼ってみると、歯が折れるばぁ固かったです。それで、期間を短縮して、鶏の遊び場面積を工夫してやってみました。小屋を建てて一通り育ってみて、一定の成果が裏付けられるには、少なくとも23年はかかります。「これじゃ面白ない」と思うたら、壊して建てないかん。まだ建てたばかりで、上等の鶏舎を壊す作業が突然、始まる。お母に「困った。この子はどうするつもりやろ」と言われながら。一番は、土佐ジローの運動量やったですけんど、作業効率とかを考えて、鶏舎を23年ごとに建て替えました。平成10年に建てた鶏小屋の時に、柔らかい適度な歯ごたえと、うまみ、肉の歩留まり、エサ効率。これ以上、人間の都合を押し付けちゃいかんなということまで含めて、納得がいきました。34の効果を計算して作った鶏小屋で、56つの効果が見えるような形ででました。

ある時期、これなら儲かるやろな、というエサのやり方をしました。エサを旨そうに食べよったやつが、出荷する150日の時に、さばくとエサ袋の中に、土をいっぱい食べていました。「こないだまで俺のエサを旨そうに食べよったのに、なんで土を食べないかんのか」って疑問がありました。ちょうどそのころ、別の村で飼ってる人の土佐ジローを、うちでさばいていました。ある時、持ってきた土佐ジローをさばくと、すごい油がありました。同じように飼っていて、見た目にはそんなに油が付いていません。なのに、手に油がもたつくというか、3羽くらいさばいたら、まな板も包丁も手も洗剤で洗い直さんと、危ないような現象になりました。生産者にいろんなことを聴いてみると、近所から苦情が出て、土の上で放し飼いができんかった、と。それで、「圧倒的にうちとの違いはそこやね」と。そこで、鶏の都合と人間の都合との折り合い点が見えた。ぼくがそれ以上儲けるためのエサをやり続けていちょったら、今、スーパーにあるような鶏に行き着いただろう、と。

自分らでさばいていることで、生産環境がどのようなものを作るかを考えさせられ、これ以上、人間の都合を押し付けたら、鶏本来のおいしい土佐ジローから外れていくんじゃないかと。そうして、土佐ジロー型生産様式を確立し、肉の生産ができはじめたと考えております。

 1998年に、テレビのどっちの料理ショーで紹介してもらいました。土佐ジローは親子丼で、オムライスと対決をしました。ゲストがどっちを食べたいかという審査やったので。弟にも「あの番組は両方、きれいに紹介してくれる。勝っても負けても、食ってもくわんでも納得するぞな」と、のんきな気持ちで見るように言いました。でも、番組が始まると、すごく肩に力が入りました。番組で、土佐ジローを食べてもらった。その評判はすごかった。うちの生産量は、もともと大したもんやないがですが、全部無くなった。冷凍で持っていた分や、本来加工して年末に燻製で出そうかと思うて持っとった中抜き肉も、肉屋が「俺がさばくき」と持って行ってくれた。マスコミの力はすごいなと思った。

「美味しんぼ」という漫画本でも紹介してもらいました。取材を受けたものの、なかなか漫画に載らんので、どう
もボツになったなと思うとったら、最終回の
1個手前で、「今週号に出ます」という連絡をもらった。「海原雄山が基本的に勝つストーリーになっているので、勝つ側の切り札的商材として出てもらわないかんので、後回しになりました」と言われ、すごく恐縮しなががら喜んだことでした。

 まだ儲かるもんにはなっておりませんけんど、評価をしてもろうたのは、すごいことやなと思うております。

 うちでは、土佐ジローの雛は、2週間に1回、600ずつ入れています。孵化したその日に雄雌鑑別をしてもらって、雄とわかったものをその日のうちに入れます。ガスブルーダーで加温しながら、300の集団を育雛します。雛から40日くらいまで加温しながら育てて、止まり木の設置された肥育鶏舎に移して、150日まで育てます。肉養鶏が6000羽と採卵鶏が600羽くらいです。だいたい1200入れて、9001000羽の製品化ですので、あまり効率はよくないです。1ヶ月900羽の肉と7000個くらいの卵を出荷しています。

 トサカは、役割として個体識別が一つ。鶏は体温が少し高い38度くらいですので、それを脳へ送るときに、血管を少し冷却させるようなラジエーターのような役割があると聞いています。生産者の立場からいうと、トサカの色がやっぱり血色として反映しますので、鶏の健康状態をみるという参考にしています。鮮やかな赤の立派なトサカの鶏として。もともと、ちゃぼに由来するとかね。小さい鶏とロードとのかけあわせですので、うまく2分の1にでてくれたらええですけんど、どうしても遺伝子が地鶏に似た場合とロードに似た場合と個体差はでますけんど。150日育てることで、トサカとか精巣とかができあがります。

この鶏は、鶏業界の中では、非常識。こんな小さい鳥をかけあわせて、肉用としてはおらんぞと。放し飼いはいろんなリスクと、エサ効率も悪いので、産業としては成り立ちにくいものをあえてやってます。作ったものが美味しかったので、そこにこだわって。ほかのものとは、根本から、相当違うぞということを売りにして出しております。やっぱり一定の数にならんと採算はとれないので、今、月産900のところを18002000羽くらいを目指してます。

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